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プロの通訳者からnoteで素人の書き手へ

こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112

通訳者として、言葉というのは命に近い存在だ。
イタリア人として考えても、「話すこと」より「コミュニケーションを取ること」の方が大切なように感じる。
マッシという人物は、ただ感じていることを出すよりも、みなさんと一つの空間になって会話する方が好きだ。アウトプットとインプットのバランスが大事だと思っている。

コロナで日常生活の感覚と距離がおかしくなる前、自分らしさを守るため、僕を助けるため、新しいことにチャレンジし始めた。それが「note」だ。
通訳者として「話す言葉」だったものが、新しい自分によって「書く言葉」として現れてきた。隠されていた自分の「言葉」のパワーを感じた。

プロの通訳者としてプロの言葉だと思われがちだけど、書く言葉になるとまた別の話になる。通訳としては、話者の口から出てくる言葉を文化のプロセスも含めて、分かりやく訳すというハードな作業だ。でも、自分の言葉は一切入っていないから、ここだけ少し楽になる。

書く言葉になると、自分らしさがすぐ出てくる。書けば書くほど裸になる感覚で、どこまで自分を曝け出すか考えてしまう。ツイッターで言いたことを絞ってわかりやすくまとめて、みなさんが楽しめるように書くのは簡単ではない。それをnoteで書こうとするとさらにハードルが高くなる。書く内容より、どんな気持ちを出したいのか、どこから相手を引っ張りたいのか、考えることが難しいと感じている。

noteで書くことで、まずは自分を改めて意識した。自分のことを深く考えることがあまりなくて、いつも自分より相手に力を入れているから、noteの真っ白なページの前に座ると自分と話すことができる。

どんなふうに自分を魅せたい=言葉遣いは楽しいか硬いか。
誰と話したい=それぞれの人に話すか、一般的な話をするか。
どのくらい接したい=相手から言葉をもらえるような内容を書くか。

書き言葉の素人である僕は、知らないうちに楽しさが出て、みなさんとの距離もなくなった気がする。コロナで距離が遠くなったことは、書き言葉でその距離は不思議に縮めることができた。パンデミック中に止まった世界の中でnoteにいる時間が増えていて、目に見えない僕の代わりに言葉だけ活かして、みなさんの喜びと反応を見て感じて、初めて思いついたのは「クリエイターってこういうことだ」。

僕がクリエーターなんて、ないない!と思いながら、知らないうちにKADOKAWAで食のエッセイを執筆していた。思いついたアレンジやスイーツの魅力がニュースになってもなぜか「僕はクリエイターだ」とまだ言えない。自分のことを守るために、自分にラベルを付けたくないという気持ちはどこかにあるような気がしている。

クリエイターというより、「自分のチャレンジで楽しく勉強になる人」の方がいいかもと思いながら、確かに、クリエイターはそういうことをしてるんだと今気が付いた。だから、書き言葉の素人である僕はまだ「クリエイター」と呼ばれたら本当のクリエイターに申し訳ない気持ちになる。

クリエイターが作る言葉ではなく、言葉がクリエイターを作る。これがわかった時、新しい自分が生まれる。

Massi


みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。