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Androidを捨てた

最近、人生初のiPhoneを手に入れた。中学3年生の時に初めてスマートフォンを持ってから実に10年目でのことだ。今まではAndroidの機種を4台乗り継いで来た。

別に今までAppleもiPhoneも嫌いなわけではなかった。ただ、長い間ずっとAndroidの方が良いと思っていた。その理由はいくつかあるが、どれもつまらないものばかりと、今になると思う。結局は、私にとって言えば、携帯電話は携帯電話でしかない。

そんな私がiphoneを初めて見たのは、中学2年生の時だった。友人が唐突にiphoneに変えたのだ。直感的にタッチ操作で使えることに心底驚いた。iphoneを借りてマップのアプリをいじるのが私の楽しみだった。その頃、スマートスマートフォンを持っている人は皆無に近かった。出たばかりということもあったが、あまりにも新しすぎて手が出なかった。そのガラケーとかけ離れた姿に警戒していたのかもしれない。そう、それは今で言えばテスラのクルマのような感じだろう。

そしてそれから1年後、中学3年生の時、私は機種変更のタイミングで初めてスマートフォンを手に入れた。この頃にはスマートフォンの種類が爆発的に増えていて、iphone以外のラインナップも多く出ていた。

憧れのiphoneを買うという選択肢もあったが、SHARPのAQUOSの機種を購入した。今でこそiphoneは高機能だが、その頃のiphoneには防水やワンセグ、赤外線機能が付帯していなかった。そういう面ではアンドロイド端末の方が優れていた。

それから爆発的に、いや大爆発的にスマートフォンは普及した。そして私の肌感覚では身の周りの人の6割~7割がiPhoneを使用していた。初期の方は確かにAndroid端末の方が、先述の防水などの機能が優れていたが、iPhoneも段々と高機能になってきたことや、そもそも私自身がワンセグや赤外線をさほど使用しなくなったということもあって、Androidにこだわる必要は無くなってきた。

だが、それでも私はAndroid端末を使い続けた。その理由は「皆と同じ」がイヤだからだ。私には昔からそういう天邪鬼的な面があった。それは決して他人を否定するだとか、協調性が無いということではない。ただ、なんとなく皆に合わせたり、同じことをするというのが面白くないなぁと感じるのだ。途中からは皆と同じがイヤだからという理由を主にAndroidを使い続けた。

それにしても、周りの友達のiPhoneの使用は奇妙に思えた。iPhoneはその流通や使用者の多さから、スマホケースも様々な種類が売られている。だが、友人たち、いや多くのiPhoneユーザーは同じ端末ではあるがケースは個々の好きなものを使う。これは傍から見れば自然なことであるが、私には「端末は皆と同じがいいが、自分らしさや個性はしっかり表したい」という潜在意識があるように思われた。個性を出したいならそれこそ豊富なラインナップのあるAndroid端末を選ぶべきではないのだろうか。

このiPhoneのケースのことは高校生の当時不思議で仕方がなかった。iPhoneがAndroid端末よりも高機能だから、美しいからという使用理由もあろうが、「個性」という面からみればずいぶんと中途半端で取り繕ったカスタマイズだなと思っていた。このことは高3の総合学習の時間の論文作成授業において『若者の個性を問いなおす』という論文の中に書いた。


それからはずいぶんと時間が経った今、私はiPhoneを手にしている。あれだけ色々と言っておいて、「結局iPhoneを買うのか」と言われれるとそれまでであるが、今回の機種変更で感じたのはAndroid端末市場の変化だ。

今回の機種変更もAndroid端末で考えていた。私はガジェットはまったくわからないので、Androidの安い端末を購入しようと店頭を見て周ると、どの機種もかなり高い。もちろん4〜5万円で買えるものもあるが、8万円だとか、普通に10万円、20万円する機種も多い。こんなにも高いのかとたまげてしまった。

そして、安い端末を買おうとすると、かなりの高確率でHUAWEIやOPPOなどの中国のメーカーのものになる。私は中国メーカーは避けたいと考えていた。もちろん、国産メーカーの製品でも中国で製造ということは大いにあり得る。だが、製造だけが中国であるのと、計画や設計からすべて中国メーカーというのはなかなかに意味が変わる。中国は国民のデータをスマートフォンから抜き出していると言うし、中国はかなりの監視社会だ。その事実を知っていると、安く端末が買えるとしても、なかなか中国メーカーは信頼し難い。

それにしても国産メーカーは高い。かなり大きな家電量販店で見たが、私が確認できた範囲では、国産メーカーはそもそもSONYとSHARPくらいだった。海外メーカーに押されているのか、スマホ事業からはすでに撤退しつつあるのかはわからないが、ラインナップがかなり少ない。

社会人になって経済を勉強して、「モノを買うことはその企業に1票投じること」という仕組みを知ってからは、よりいっそう強く「国産メーカーを応援したい」という気持ちを持って品定めしていた。だが、市場は一変していた。Androidにはもはや価格や機能、メーカーの総合的判断で買いたいと思うものが見当たらなかった。そう、iPhoneは消去法的に選ばれた選択だった。


憧れたiPhoneを思わぬ形で購入することになったが、Appleはやはり強いメーカーだなと強く感じた。iPhoneだって安いというわけではない。10万円するモデルもある。それでも多くの人が手に取ってしまうのはやはりAppleというメーカーに信頼がおけるからだ。加えて、造形美があって、Apple製品間での互換性が高い。

私はiPhoneこそ持っていなかったが、iPadと iPodは以前から所有していた。その機能性や造形美は認めていた。むしろ、iPhoneを持っていなかったがことが不思議なくらいだ。それでも携帯は慣れ親しんだAndroid一択だと強く思っていたが、今回結局Appleの引力に負けることになった。もしかしたら、国産メーカーはスマホから撤退したというよりも、iPhoneによって、 Appleによって駆逐されたのではなかろうか。


スマートフォンが出始めた頃はデザインや先進性が先行していたAppleやiPhone。Android端末には機能面で及ばない部分があった。昔はそう個人的に思っていた。しかし、現にiPhoneを手にしてみると、Android端末を撫で続けてきた指には多少違和感を感じるものの、今ではまったく不便の無い高機能の端末だということを感じさせる。私が購入したのはiPhoneの廉価版のモデルであるが、所有欲を十分に満たしてくれる。

天邪鬼でiPhoneを遠ざけているうちにAppleもiPhoneも信じられないくらい進化していた。いや、正直には、途中からはAndroidを辞めてでも買うくらいの価値があると思わざるを得なくなっていた。それくらい万人に支持される理由がある。「GAFAM」という言葉のくくりをよく耳にするが、それらは本当に「強い企業」だ。その「吸引力」が圧倒的に違う。今回の機種変更ではそう強く感じた。


Stay hungry. Stay foolish.







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