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2016年11月の大江千里氏のジャズライブから1年3ヶ月後の今、ダリとゲンスブール。

その1【2016年にsnsに投稿した記事】

“ジャズピアニスト”大江千里のライブに行ってきました。
実は大江千里さんとは20年以上前にお会いしているのです。
当時の私はサラリーマンDJでして(笑)
葉山のお店で3か月ほどレコードを回していたのです。
休憩の時にラスタ帽を被り無精髭を生やしたお客さんから話しかけられました。
「ジャズ、いいですよね〜あー、ジャズやりたいなぁ」
「音楽関係のお仕事なんですか?」
「ええ、曲つくったりしてます」
「え、音楽で食べていけてる人なんですね」
「ええ、まぁ、」
「それなら好きなジャズやればいいじゃないですか、そもそも音楽で稼げてるわけなんすから」
「いや〜求められてるものとやりたいものが違うんですよ、全く」
「もったえないですね〜それは、、」
そしてセロニアスモンクとかビルエバンスの話とか、よもやまジャズ談義に花が咲きました。
「あ、私帰りますんで、今日は久々にジャズの話が出来て楽しかったです」
「僕、今日、この店のDJ最終日なんでもし宜しければ連絡先教えて下さい、またジャズの話をしましょうよ」
「ぜひぜひ」
と言って、ペーパーナプキンにマスターから借りたペンでさらっと書いて渡してくれました。
そのナプキンをみてビックリ!
大江千里 090*****、
まじまじと顔を見上げると大江千里に似てました。(ホンモノでした)
黒縁のセルフレームのメガネをかけてアイビールックではなかったので全く気づかなかったのです。
それ以来、芸能人という気後もあり、一切連絡も取らずに時は流れて20数年。
久々に青山ブルーノートのHPを開いたところ、なんと!大江千里(p) “アンサー・ジュライ” -ジャズ・ソング・ブック-
と出ているではないですか、、
彼は20年以上を経てジャズピアニストになっていたのです。
10年前の46歳の時に、渡米し音楽修行をし、NYを拠点に自身のレーベルを立ち上げ活動していたのです。
ピアノに寄り添って歌わない彼がそこにいました。
とても音楽を楽しんでいるように私の目には映りました。
MCの一言、「19歳の時にやりたかったジャズをすっと出来ずに今やれて、心から良かったと思います。」
〜脳裏に焼きつきました。
ヤング・アット・ハート、いつまでも心は若く、
チャレンジに年齢は関係ないんだなぁと。
私は、手紙をフロントに預けブルーノートを去りました。

その2:【2018年の今、想うこと】

ジャズクラブのフロントに預けた手紙の返事はありませんでした。正直、返事をいただけるなど過度な期待はありませんでした、想いが伝われば良いな、程度でしたので。

そして2018年の2月に大江千里の新刊のインタビュー記事がsnsで多くの人がシェアしていました。”47歳ではじめた僕のライフシフト”多くの人が2016年の私の気持ちと同じものを感じたのでしょうか?

http://toyokeizai.net/articles/-/206780?page=4

さて、ここでジャズ好きの私としての2016年の演奏の正直な感想です。

全く響きませんでした。

Jpopのシンガーソングライター時代は独自の世界観で男女の心を鷲掴みしていました。しかしジャズピアニストとしては商業音楽家としてとても厳しいと思います。独自の世界観が感じられないのです。彼はJpopアーティストとして人を惹きつける何かがあったのですが、彼の指先から放たれる音には惹きつけられません。

私は彼を批判する気は一切ありません。むしろ大きな気づきをもたらしてくれたことに感謝をしています。自分が好きな事と人が期待するモノ・コトとは多くの人にとって真逆という事実を教えてくれたからです。そして本当に好きな事をしている勇気も素晴らしいと思います。

その3【アーティストには2種類いる】

(多くの人を惹きつける)アーティストには以下の2種類の人がいると思います。

1:自分を演じ続ける人

自分の成功パターンを見つけ、そのパターンに最後まで固執し続ける人です。例えばサルバードール・ダリ、彼は鬼才、天才と呼ばれていますが私はとても努力の人だと思うのです。なぜならば同時代に真の天才ピカソに追いつくために常に計算し自己アピールをし続けていました。その証拠に彼は自分が発見した勝ちパターンであるシュールレアリズムの画風を確立してから死ぬまでその画風を崩しませんでした。そして死ぬ前に放った言葉。

「あぁ、これでダリを演じる事をしなくて良くなるのだ」

2:くるくると転回し続ける天然な人

常に自分自身に飽き足らずに貪欲に変化し続ける人です。例えばセルジュゲンスブール。作曲家として大ヒットをマークしその後シンガーソングライターに転身し、またCFディレクターとしても才を発揮し、映画監督、俳優、とぐるぐると感性の赴くままに転がり続けた人です。彼はまた相当な変人でインタビューでフランスの紙幣をライターで燃やしたり、フランス国家ラ・マルセーユをレゲエにアレンジして右翼に狙われたりと破天荒極まりない一生を送りました。そして死ぬ前に放った言葉。

「私は全てにおいて成功した。自分の人生以外の全てに」

多分、彼は100万年生きようとも満足をしなかったのでしょう。



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