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Meは何しにトルクメニスタンへ!?

自己紹介記事で私とテュルク世界との関係について書きました。

今日はその中でも私がどのようにしてトルクメニスタンに行きついたかについてご紹介したいと思います。

大学時代にトルコ語で書かれたトルクメン語の文法書を購入し、帰国後はぼちぼち勉強していたのですがどうにも気持ちが乗らない。私の語学学習は常にネイティブとの会話でモチベーションを高めていたので、周りにトルクメン人がいない環境ではなかなか進みませんでした。

大学院で東京に上京し、修論ではどのテュルク語を研究対象にしようかと、考え、トルコ語をある程度身に着けた強みを生かそうと、西の方のテュルク語を研究したいとトルクメン語やらクリミア・タタール語やらをまたぼちぼち学習していました。

そんなとき、同期で日本語教育を勉強していた友達が日本語を教えていた学生の中にトルクメン人がいて、「運命だ」とおもい、さっそく彼につたないトルクメン語で手紙を書きました。当時、トルクメン人が日本にいるという話は聞かず(実際に5人くらいしかいなかった)、見つけるのはとても困難だったのです。彼は快く連絡をくれて、会うことになりました。

彼はトルクメニスタンのアナトリアン・ハイスクール(トルコ系の高校)出身だったので、トルコ語や英語が堪能で、すぐに親しくなれました。今考えれば彼はトルクメニスタン出身のウズベク人であまりトルクメン語は得意ではなかったのですが、奥さん(テケ族の女性。毎日トルクメンの民族衣装で日本で生活していた。)と協力しながらトルクメン語を教えてくれました。彼が私の最初のトルクメン語の先生です。

トルクメニスタンというのは、旅行であれば問題ありませんが、当時、長期滞在する方法というのはなく、研究や留学をするのはとても難しい国でした。とりあえず、トルクメニスタンに行く機会をうかがいつつ、日本で研究をしようと考えていました。

そんなとき、トルコ大使館のお偉いさんのつてで、トルクメニスタンの日本大使にお会いする機会をいただき、現地で日本語教師が不足しているという情報を得ました。その時日本語教育の知識など全くなく、付け焼刃で日本語教師の資格替わりとなる「日本語教育能力検定」を受験しました。内容は半分くらい言語学に関するものだったので、日本語教育の知識が身に付いたとは言えないものの、なんとか合格し、その後、日本大使館の助けを経て、トルクメニスタンの大学に日本語教師として赴くことができたのです。

2009年当時、トルクメニスタン航空のチケットはまだ手書きで、殴り書きのチケットを見てとても心配だったのを覚えています。郵便の配送方法もなかったので、商社の方が日本までもってきてくださって、家まで郵送してくださいました。

多くの人の助けを経て、トルクメニスタンに行くことが決まったのでした。次回はトルクメニスタンでの生活編がスタートです。