アートの深読み12・フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」1959
フランソワ・トリュフォー監督作品、フランス映画、原題はLes Quatre Cents Coups。カンヌ映画祭監督賞受賞。3人家族でのひとり息子が、少年院に送られ、脱走するまでの話。小学校高学年あたりのとしごろである。タバコを吸ったりもしているので、もう少し年長かもしれない。教室での態度が悪くて、立たされるところからはじまる(上図)。次にズル休みをして、仲間と遊びに出かける(下図)。
仲間は印刷工場を営む裕福な家の子どもで、欠席届の書き方を教えてやっている。書き損じて教師には口頭で母親が死んだと言うと、これまで目の敵にしていた教師は急に優しくなり、慰めの表情に変わった(下図)。無断欠席を知った両親が学校を訪れたとき、母親が生きていることがわかってしまう。学校でも、家庭でも信頼を失い、いたたまれなくなって家出をして、仲間の家にころがりこむ。
ずるずると奈落へと転落していく姿を、ドキュメンタリータッチでカメラが追っている。鍵っ子だったが悪い子ではなかった。両親は共稼ぎをしていて、帰宅するまでに子どもが三人分の夕食の食器を並べている(下図)。子どもを中心に並んで食事をしている。ゴミ出しもしていて、家の仕事は言いつけ通りに従っている。家庭での会話から子どもが連れ子であることがわかる。母親の連れ子だと思い込んでいたが、じつのところ確証はない。
母親があまりにもつらくあたるので、継子いじめをしているようにもみえる。父親はそれに比べて優しく接しているようだ(下図)。その後、少年鑑別所の面談での母の発言から、母親の連れ子だったとわかるが、面接官も父親の連れ子だと思っていたようだった。母の口からは、育ててくれた父親に感謝をというセリフも出てきた。少年とは思えない大人びた遠慮があったように思う。盗みで捕まり警察に引き取りに行ったときには、親はもうすでに子を見限ってしまっていた。
母親の愛に飢えていたことは確かなようだ。母親が急に優しくなったときがあった。親子三人が映画館に出かけ、並んでいる姿はごく普通の家族の情景に見えていた。これに先立って、学校に行かずに街をぶらついているときに、少年は母が知らない男といっしょにいるのを目撃していた(下図)。目があって母はしまったという顔をしている。同時に学校にいる時間帯なのにとも、思ったはずだ。その夜は母親の帰宅は遅く、父親は仕事が忙しいのだと妻をねぎらいながら、慣れない卵料理をつくっていた。少年は告げ口をすることもなく、何も言わずに父との時間を過ごした。
ドラマとして会話を中心にたどっていける論理的な言語構成とは別に、映像として定着する刹那の感覚がある。これがたぶん映画を豊かなものにしている。それは必要以上に長いカメラワークとなって記憶に残るものだ。最初はパリの街並みを移動する路上からみえる光景だ。どこからかはわからないが、常に遠景にはエッフェル塔がみえる(下図)。北斎の富士にも似て、それはそびえたつものとしてそこにあり、黙ったまま見つめ続ける父なる神のような存在と言えるかもしれない。長いイントロだった。
途中では子どもたちが人形劇をみながら、屈託のない笑いに包まれる場面が、繰り返し写し出されていた(下図)。ストーリーからは逸脱した違和感が、象徴性を高めている。主人公の少年の憂鬱な表情と、対比をなすもので、演技では見つけることのできない映画というメディアの特性だと思う。
遊園地で回転する絶叫マシーンに乗って、無重力を楽しむ場面も、長く引きのばされていた。少年は笑ってはいるが、ひとりで楽しむ孤独な遊びだ(下図)。そしてラストシーンでの、少年院の柵をくぐって脱走し、ひたすら走り続ける姿には、セリフは一言もない。少年院に送られる前、親は息子を陸軍幼年学校に入れようとしたときがあった。いわば厄介払いであったのだが、このとき少年は陸軍は嫌いだ、海軍ならと答えていた。
走り続けて海にたどり着いたところで、映画は少年の表情をクローズアップして終わった(巻頭図)。少年にとって海とは何であったのかという問いが、私たちに投げかけられているようにみえる(下図)。そびえたつ山やエッフェル塔に対して、それは子を包む母性であったにちがいない。この独走も映画としては長く、どこまで走っても海にはたどりつかないのである。何かしゃべり出しそうな少年の表情が示す永遠の時の停止とともに、脳裏にこびりつくことになった。
これがトリュフォー自身の自伝的作品だというのなら、原題にこめられた400回も繰り返された若き日の非行というのが意味をもってくる。その苦難の末にたどり着いた、映画監督として大成する意志の力を、その表情に読み取らなければならないだろう。もちろんこれは若干27歳の青年の処女作で、大監督になるのはのちのことだ。カンヌ映画祭での受賞など、思ってもいないことだったはずだ。
それでも映画への愛情は、満たされぬ思いの代償のようにこだましている。学校をサボって行ったのは映画館だった。仲間が帰りぎわにやぶって持ち帰ったのは「不良少女モニカ」の写真だった(上図)。映画青年にとってのミューズといってもいいものだ。ベルイマンは見なくても、一枚のスチール写真が映画への信仰を暗示している。
*トリュフォー作品については、こちらを参照
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