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リトアニア語名詞のアクセント移動について

ご注意

この記事は、23年1月28日に行われた「言語学フェス」で行った発表内容を整理し加筆したものです。
そもそもの発表動機は、リトアニア語を復習していたときに、アクセント移動について「あ、わかった!」と合点した内容を誰かに聞いてもらいたい、ということであるため、この記事にはリトアニア語学上の新発見は(もちろん)含まれていません。私はただの学部卒です。

リトアニア語学習の動機は十人十色ですが(そうか?)、鬼門となるのは複雑なアクセント体系の理解かと思います。
日本語で利用できる教材には、巻末に資料としてアクセントの解説があるのですが、ギュッとまとめてあるので、読み解くのが難しい。そこで僭越ながらこの記事を発表するのです。『リトアニア語基礎1500語』巻末の解説と、『ニューエクスプレス リトアニア語』巻末の表の意味がすっとわかるようになることを目指して書いています。
この記事をきっかけにリトアニア語仲間が増えたらとも思うので、前提的なところから説き起こします。

はじめに

リトアニア語は語形変化が豊富です。
名詞、形容詞、形容詞の限定形、形容詞比較級、形容詞最上級、人称代名詞、指示代名詞、動詞から派生した各種分詞etc.がそれぞれ主格、属格、与格、対格、具格、位格(、呼格)の範疇をもちます。これらが全て同じ曲用をしてくれるなら楽なんですが、そうはいきません。名詞、形容詞、代名詞etc.は、少しずつ異なった変化語尾を持つのがクセです。しかもそもそも名詞が、語幹によって曲用が異なるのでとても大変です。学習者は、ゆくゆくはこの変化を頭に叩き込まなくてはいけません。

そして、格変化に際してアクセントが移動します。「男性名詞ならいつも属格のときはアクセントが語頭に来る!」というような体系なら非常に楽なのですが、そうではありません。

母音体系

まず、アクセントを担う母音体系をまず確認しておきましょう。母音体系は、次の通りです。ここではいったん、実際の聞こえではなくて、ルールを理解するための便宜的なもの、とお考えください。

短い母音
短母音:a, e, i, u

長い母音
長母音   :ą, ę, į, ų, ė, o, ū, y 
(oは、本来語では常に長母音です。外来語でのみ、短母音となります)
二重母音  :ai, au, ei, ie, uo, ui
混合二重母音:am, an, al, ar em, en, el, er im, in, il, ir um, un, ul, ur
(名前が厳しいですが、つまり母音と成節的子音の組み合わせでできている、ということですね)

以上、要は母音が短いのか長いのかが大切です。モーラ言語を話す我々にはわかりやすいですね。長さが1個分の母音なのか、2個分なのかということです。

アクセントの種類(3つある)

ただでさえ複雑な話を余計に混乱させるのが、アクセントが3種類ある点です。この点を理解する上で長短の区別が大事になってきます。

語中の短母音にアクセントがある場合、そのアクセントは強く短い、「短アクセント」です。つまり通常のストレスアクセントです。これが1種類目です。

それに対し、長い母音類にアクセントがある場合には、「上昇アクセント」「下降アクセント」のいずれかになります。上昇/下降するには、母音がひとつ分ではダメで、短母音が2つ分でないと傾きが描けないわけです。
(セルビアetc.語には短い上昇母音、短い下降母音があると仄聞しますが…)

例えばsūnus「息子」(単数主格)は末尾のuにアクセントがあります(短母音ですから、短アクセントです)。sūnusの単数属格は、sūnausです。アクセントは相変わらず最後の音節にあります。auは二重母音ですから、短アクセントは来ません。上昇か下降アクセントのどちらかです(この語の場合は上昇)。長母音が短アクセントを受けることはないし、短母音が上昇/下降アクセントを受けることもないのです。

以上で3つのアクセントは対等なものであって、”短アクセントがメイン、音調をなす上昇/下降アクセントがサブ”ということではないとお分かりいただけたと思います。

*(本来的には短母音を示すはずの)a,eに上昇アクセントが置かれることがあります。そうすると上昇するために長さが必要となりますから、このときのa, eは長母音化します(アクセントによる長母音化)。

どういう移動なのか?

アイスランド語やフィンランド語では、アクセントは必ず語頭にあります。長くなると第2アクセントが現れることはありますが、移動はしません。
対してリトアニア語は、どの音節にもアクセントがありえます。そしてこのアクセントが、曲用に際して移動します。

リトアニア語の名詞曲用のアクセントは「特定の格に置かれたとき、アクセントが語末音節の母音に移動」します。移動先は必ず語末です。ですので、例えば3音節の語があったときにも、「語頭のアクセントが語末に移動する」か「真ん中の音節のアクセントが語末に移動する」かのどちらかであって、「主格のときは語頭だが、属格では真ん中に、与格では語末に」という3箇所の移動はありません。
この「特定の格」というのが、ひとつではなく、しかも名詞の分類によって異なるんですね。しかも、「単数主格」が、かなりの頻度で「特定」の中に含まれているのです。

では、「特定」ではない、語本来のアクセントはどこにあるのか。全ての名詞で例外なく、単数与格・単数対格のときは、その語本来の箇所にアクセントがあります。

初期状態のアクセントはどこにあるか

アクセント移動は、パターンによって1, 2, 3, 3a, 3b, 4の6つの「クラス」に分かれます。これらは移動パターンによる分類ですが、まずそもそもどこにデフォルト状態(単数与格・対格)のアクセントがあるか確認しておきます。

クラス1. 語末以外のところにアクセントがある(としか言えない)。
     *アクセントの移動なし
クラス2. 後ろから2番目の音節にアクセントを持つ。
クラス3. 語頭にアクセントを持つ。(サブの3aと3bについては後述)
クラス4. 語頭にアクセントを持つ。

「1は説明になってないし、3と4はどう区別するんだ」、と思いましたね? いったんお待ちください。

次に、2音節か3音節以上か、を区別する必要が出てきます。本来的に語頭にあるアクセントなのか、結果的に語頭にあるアクセントなのかを識別するためです。整理しましょう。今仮に、アクセントのない音節を□、ある音節を■と表すなら、2音節の語は必ずどの格であっても、

デフォルトの位置:■□(1、2、3、4のどれもあり得る)
アクセント移動後:□■(2、3、4でしかあり得ない)

のどちらかになりますね。同じように3音節以上の語なら、

3音節のとき、
デフォルトの位置:■□□(1、3、4)
デフォルトの位置:□■□(1、2のみ)
アクセント移動後:□□■(2、3、4でしかあり得ない)

4音節のとき、
デフォルトの位置:■□□□(1、3、4)
デフォルトの位置:□□■□(1、2のみ)
アクセント移動後:□□□■(2、3、4でしかあり得ない)

となります。
一応総括するなら、初期位置のアクセントは必ず語頭か、後ろから2番目の音節にあることになります。
音節の数はアクセント移動のパターンにも関わってきます。それぞれのクラスを詳しく見ていきましょう。

アクセントクラスを詳しく

  1. このクラスは、2音節の語なら、必ず語頭に下降アクセントがあります。
    3音節の語では、語末以外のどこか、という言い方しかできません。
    このクラスはアクセントが移動しません。ということは、格変化しても語末にアクセントが来ることはあり得ません。

  2. 後ろから2番目の母音にアクセントがあります。必ず上昇か短アクセントです。
    もし、2音節の語なら、アクセントの初期位置は語頭になります。結果として頭にアクセントが来ている、ということになりますね。
    3音節以上の語であれば、格変化してもアクセントは最終音節かその一つ前のどちらかですので、頭に来ることはあり得ません。

  3. この系列は本来的に語頭にアクセントがあります。
    3は、すべて2音節の語です。そしてアクセントは必ず下降です。
    3aはすべて3音節以上で、やはり下降アクセントです。
    3bはすべて3音節以上で上昇アクセントか短アクセントです。3a,bに2音節の語は存在しません。

  4. このクラスも本来的に語頭アクセントです。種類は上昇か短アクセントで、全て2音節語です。

図にまとめるとこのようになりますね。

ご明察。Excel方眼紙で作りました。

では実際にアクセントはどのように移動するのか。

語幹との関係

ここまでアクセントの話を進めてきましたが、ここで一度名詞の語幹の話をしなくてはなりません。初めの方で述べたように、名詞は語幹によって曲用が異なるためです。
母音語幹が6つ(-o、-yo、-a、-e、-i、-u)、子音語幹が3つあります(-r、
-n、-s)。曲用の語尾も少しずつ違っています。覚えることがたくさんありますね。アクセントの移動は、この曲用の種類にも影響されます。

下図は、o語幹、a語幹、i語幹、u語幹、n語幹、r語幹の単数の変化です。

カラーはニューエクリスペクトです。

よーく見ると、例えば母音語幹の対格は、語幹末母音の延長だな、とか、与格は-Viの形をしているな、と伺えるのですが… 身につけるのは大変ですよね。
ここで曲用表を全て並べ立てることはしませんが、「アクセントの移動はクラスに従うが、詳細には語幹ごとにさらに異なる」、ということをお含みおきください。

これがアクセントの移動表だ!

お待たせしました。以上を踏まえてアクセント移動を一覧表にまとめました。黒丸が入っているところで、アクセントが語末にきます。

クリックで拡大してください。
凡例:クラス2・o語幹なら単数具格・位格、複数対格で語末アクセント、ということ。
なお、この表ではs語幹の名詞を省いています。s語幹名詞はmėnuo1語のみで、クラスが1のため。

最後に

さてこれで、どのクラスのどの曲用のときに、アクセントが末尾に来るのか明らかになりました。しかしひとつ疑問が残っていて、移動した先の語末に含まれる母音が短母音なら必ず短アクセントですが、長い母音なら上昇・下降のどちらになるのでしょうか。
私自身もそれは個別に確かめるしかないものと思っていました。が、今回まとめ直しているうちに気づいたのでお知らせします。

語末(この場合は音節ではなく文字通りの語末)に下降アクセントが来ることはありません。どういうことか。つまり、語の終わりが-Vのとき、もしこれが短い母音であれば当然短アクセントですし、長い母音であれば必ず上昇アクセントです。絶対に下降アクセントは来ません。これは、今回私も気づいて興奮しているのですが、「レスキーンの法則」というやつです。

では、「最終音節」に下降アクセントがくることはないのかというと、あります。語幹を問わずクラス3、3a、3b、4の複数与格は、語末アクセントです(↑スクロールして確かめてみてね)。このとき、語尾は全て-Vmsの形をしています。つまり、-混合二重母音+sとなっているのです。すなわち(一度使ってみたかった言葉)、語末に母音が露出している場合、下降アクセントはあり得ないが、子音で塞がれていればあり得るということです。「語末にも下降アクセントは来ていたかもしれないが、全て短母音化してしまったらしい」と推定されます。これがレスキーンの法則です。

蛇足ながら付け加えておくと、語末アクセントが下降になるのは、上述の3系列と4の複数与格のみです(「息子」単数属格sūnausはこれだけ見ると下降アクセントが可能そうな環境ですがそうなっていません)。

締めくくり

お読みくださいまして、ありがとうございます。
ここまで読んでみて、「面倒臭そうだがそんなに難しくはないじゃん」と感じられていたら、嬉しいです。
この記事は、基本的には『ニューエク』と『1500語』を解読して理解した内容を整理し直しただけのもので、付け加えた部分はほとんどありません(レスキーンの法則について、言語学大辞典を確認しましたが)。
「なんだ、難しくないじゃん」と思っていただけたら、当初の試みが成功した可能性が非常に高いと踏んでいます。

参考文献

a, 櫻井映子『ニューエクスプレス リトアニア語』白水社、2007
b, 村田郁夫『リトアニア語基礎1500語』大学書林、1994
c, 亀井、河野、千野編『言語学大辞典セレクション』三省堂、1998「リトアニア語」(村田郁夫)
d, A. Klimas, W. R. Schmalstieg L. Dambriunas, Introduction to Modern Lithuanian, Franciscan, 1980<third edition>

e.ヴァイダ・ヴァイトクテー監修、ユーラシアセンター編『リトアニア語入門』ベスト社、2009

蛇足

ベスト社の『リトアニア語入門』、少し思い出深くてですね。
学生時代に買ったのですが、少し高価な本なので、買うのに勇気が必要でした。帰り道で落としたり傷つけたり引ったくられたりしたらどうしよう、みたいな。書店でかなり迷ったのを覚えています。
ただ、他に日本語で書かれた入門的文法書がないし、付属の音源にアクセントの移動が丁寧に吹き込まれているし(図書館で借りて知ってた)、ニューエクと一緒に使おうと、思い切って買いました。

それから10年近く経ってから、その、大切にしていた『リトアニア語入門』が、何度も版を重ねている教本”Introduction to Modern Lithuanian”の(おそらく無許可の)抄訳であることに気づきました。いやー、びっくりしましたよ。久しぶりにリトアニア語でもやろうかと思ってお借りしてきた"Introduction…"を開いたら、知っている例文が続くんだもの。慌てて『入門』も引っ張り出してきたんですけど、著作権表示もないし、前書きでも全く触れられていないんです。大事にしていた『入門』ですが、価値暴落って感じです。

ちなみに、今回この記事を仕上げるために見てみたら、表中のアクセント記号に誤植が多いことが分かりました。全くデタラメというのではなくて、途中から、下降アクセントの記号がなければならない箇所、全て短アクセントになってるんですよね(ここは混合二重母音なので、あ、そのまま貼り付けたな、という感じ)。

"Introduction to Modern Lithuanian"の第2課
『リトアニア語入門』第5課


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