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インターましロードを作るたび第2章~ピンチは続くよどこまでも、後編


1 はじめに



旅の行程 初日

『インターましロードを作るたび、第2章』へようこそ。第1章のスリル満点の展開についてきてくださった読者諸氏には大変感謝している。


第2章も引き続き、2023年6月に真しろが行ったインターレールでのヨーロッパ1人旅1日目を振り返る。現在は、イタリア北部の町、ヴェローナから、オーストリアのインスブルックへ向かう電車の中で話が終わっている。


2 オーストリアへ~第4のピンチ


2023年6月25日。ヨーロッパ時間、おそらく午後4時を過ぎた頃だったと記憶している。目覚めたとき、電車は止まっていた。駅で止まっているというより、停止信号で止まっているらしく、ドイツ語の放送がなにやらつぶやいている。どうせ電車が遅れているのだろうと、辛抱強く電車の旅を楽しむことにした。ひとまず放送がドイツ語なので、イタリアとオーストリアの国境はとっくに越えているはずだ。


しかし、いつまで経っても、今日の目的地、インスブルックにたどり着く気配がない。Wi-Fiが電車になかったので、現在地を調べることも容易ではなかった。とりあえず、電車はいつか終着駅に着き、きっとそれがインスブルックなのだから、今は電車を楽しめばいいなんて思いながら、引き続き山沿いを走る電車に身を預けていた。


18時過ぎ。ようやく電車は終着駅と思われる駅に到着した。乗客が騒がしかったが、恐らく、「インスブルック」と言っている肉声の放送が聞こえたので意気揚々と降りてみた。


しかし、駅を降りて、妙な胸騒ぎに襲われた。根拠はないけれど、ここはインスブルックではないような気がしたのだ。強いて言うなら、電車が遅れているにしても、さすがに時間がかかりすぎではないかと思ったからだ。通りかかった人に、「ここはインスブルックですか?」と聞くと、その人から帰ってきたのは衝撃の答えだった。


「ここはミュンヘンです……。」


ミュンヘンはドイツ南部にある大きな町だ。つまり、このとき真しろが降り立った駅は、もはやオーストリアではなくしてドイツなのだ。どうやらこの電車の終着駅は、インスブルックではなく、ミュンヘンだったらしいのだ。よく、「電車で1駅寝過ごした、ぴえん」なんて話は聞くけれど、この場合、「電車で1カ国寝過ごした」という、笑えない話になってしまったのだ。



VeronaかからInnsbruckを通り過ぎ、Münchenまで行ってしまった地図

後述するが、インスブルックからミュンヘンはそんなに遠い位置関係ではない。それにしても、オーストリアを通り過ぎてドイツまで来てしまった事実が衝撃的すぎて、さすがの真しろもパニックに陥った。とりあえず駅の待合室に行って、次の電車を調べてもらったところ、1時間後に戻りの電車があって、今度はインスブルックが終点らしい。待合室にいたお客さんや駅員さんに事の次第を話すと、「自分がどこで降りたいか、ちゃんと周りの人になんども言わないと駄目だよ」と怒られてしまった。最もである。英国の場合は、いくら放送が聞こえなくても、一応は英語なので、なんとかして放送を聞き取ることはできていたが、ここはドイツ語圏。油断は100%してはいけなかったのだ。幸いだったのは、先ほども書いたように、ミュンヘンからインスブルックへは2時間で行けることと、インターレールのチケットを持っているので新しいチケットを買う必要はないことだった。そして幸運にも、駅の人がサンドイッチをくれたので、腹を満たすこともできた。やはりおなかが減っていると冷静さを欠いてしまう。


そんなこんなで、19時半頃の電車でインスブルックに引き返すことにした。本当は、しっかりインスブルックへ戻る電車を楽しみたかったのだが、この時はなにより、今日の宿に着けるかが心配だったので、ただボーっと電車に揺られていた。予定通り行っていれば、今頃インスブルックで晩ご飯を食べて、もしかしたらもう眠っているかもしれないような時間だった。


2 第4のピンチの解説


ここで、ピンチに陥ってしまった過去の自分への戒めと、ヨーロッパの地理に興味があるかもしれない読者諸氏に向けて、簡単に何が起きたか解説をしておく。地図の原文が用意できなかったのはご容赦いただきたい。


今回真しろが乗っていた電車は、イタリア北部の観光都市ボローニャから、イタリア北部の山沿いとオーストリアを経由して、ドイツ南部の町、ミュンヘンへと向かう長距離列車だ。国境を接していない日本では、3カ国にまたがる電車なんて考えられないだろう。走行時間はおそらく8時間程度で、長いことは長いが、距離は東京から福岡より少し長いぐらいだと思われる。つまり、正当化するわけではないが、インスブルックを通り過ぎてミュンヘンに行っても、そんなに怖がることはないのだ。


もう1つ正当化の蛇足を付け加えるとするなら、ミュンヘンへは、次の日、別ルートでインスブルックから向かうことになっている。つまり、乗る予定ではなかった区間の電車に乗れてしまったと考えることもできるのだ。


ヨーロッパの土地勘に明るくない自分の責任ではあるのだが、ある意味地図というのは、自分で足を運んでこそ頭に入るものではないかと、方向音痴な真しろは思うのである。3章以降でもふれるが、インスブルックは、ドイツへ向かう電車ではなく、オーストリアの首都、ウィーンへ向かう電車も走っている。そして自分が乗ってきたイタリアへ向かう電車も走っている。インスブルックの町は、ある意味ジャンクションなのだ。身をもってそれが体験できたことにもなるのだ。


3 インスブルックの夜~第5のピンチ


インスブルック

21時半。かなり予定より遅れて今度こそインスブルックへ到着。オーストリアの中では比較的大きな町なのだが、ホームは時間のせいもあってか、静かだった。ホテルから駅までは、歩いても容易にたどり着けるぐらいの距離だったが、疲れていたし、夜道を歩くのは不安なのでタクシーを使うことにした。


ホテルに着くと、スタッフの方が、親切に、部屋まで案内してくださった。それだけでなく、ディナーを食べられる場所はないかと聞くと、近くのオーストリア料理店を紹介してくれた。近くと言ってもやはり夜は怖いので、今回もタクシーを使うことにした。


ところがここで、この日最後のピンチが訪れる。このタクシーは、現金払いのみだったのだ。


自分の修行場の近くに限っては、タクシーはカードでのお支払いが全て可能だったし、飲食店のほとんどはカードでのお支払いができるというのはドイツで経験済みなので、今回は現金を持って行かなかった。理由を付け加えるなら、ユーロはポンドに比べてお札の識別を触って行うのが困難なので、願わくば現金を持ちたくなかったのだ。


しかし今回はそういうわけにもいかない。そこで、満を持して、タクシーの運転手さんに、ATMに案内してもらい、いくらか現金を用意することになった。正直このような経験は初めてだったが、おそらく問題なく支払えたようで、お店にたどり着けた。これでやっとディナーにありつける。


ここでいただいたのは、オーストリアの定番料理であるシュニッツェルだ。所謂とんかつのようなものだが、とんかつよりもしっかり揚げられている感じで、正直かなりボリューミーだった。とはいえ、この日はほとんど何も食していないのと、やっとオーストリアにたどり着けた安心感で、すっかり満足してしまった。写真を撮るのも忘れるほどの勢いで平らげた。


無事にタクシーでホテルに帰り、長い長い1日目は終了した。もし早めに着いていたら……などと考えてはいたが、今目の前にある旅の思い出が全て。後悔はしたけれど、悔いはない。


4 おわりに



スリル満点の1日目の記録がようやく終わりとなる。「もうお腹いっぱい」と思われている読者諸氏も多いことだろう。


旅自体はまだまだ序盤だ。これ以降は穏やかな旅を期待していただきたい。だが、国を超えた電車の寝過ごし体験や、英語圏の外を英語しか話せない全盲のアジア人が放浪する経験は、恐らくないだろう。真しろはこの経験を、むしろ今は大切な財産として心の財布にしまってある。自慢できることではないけれど。


それでは今日はこの辺で。Have a nice day!

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