ばあちゃんに捧ぐレクイエム
こんにちは やまごうです
昨日ばあちゃんが亡くなった
連絡があったとき「…お、おっと。。」と驚き少し混乱したが、少し前に病気が見つかったと聞いていたし、そうかそうかと思って帰りの飛行機など帰省方法をすぐ調べた
けど、何だか集中できなくて結局就業時間内は仕事をすることにした
一応家族に「こんな時期だから来るな的なのある?」と聞いてみたら、言いにくそうに「…そうやねぇ。そうかもね」とのことだった
コ、コロナ、、
仕事が終わって家に電話してみた
「東京から来るって言ったら嫌がる人もおるかもしれんけん、まぁやめときさいや。そっちから拝んどいて。そういえば、あんたが独身時代書いた手紙が出てきたから一緒に入れとくね」
さっきまでそうかそうかと思うだけだったけど、母親の声を聞くと急に悲しくなって涙が出た
ばあちゃん、まさかお葬式に行けないなんて思いもしなかったよ
その後も電車の中でじわじわ泣き、保育園からの帰り道に泣き、家に着いてもうじうじ泣いた
死ぬのは仕方ない
けど、最後に手をあてて「冷たくなったんやね、さよなら、ありがとう」とお別れがしたかった
お葬式って仰々しくて、悲しい音楽流したりであまり肯定的に見てなかった節がある
確かに今も変わらず質素な方がいいとは思っているが、家族にとってもお葬式というのは大切なんだなと実感した
部屋を掃除しながら手紙が出てきたり、もう二度と返事を返してくれない人に話しかけたり、思い出話をしたり、そしてお別れを言ったり
あと、「お化粧してもらったらばあちゃんぽくなくなったんよ、男の人が化粧したみたいになった」という顔も見たかった
とにかくコロナを呪った
ボッコボコにしてやる
ケンカしたことないけど
ばあちゃん大好き、悲しいって感じになっているけど、実は私とばあちゃんはあまり馬が合わなかった
中学生のツンケンしている時代が1番仲が悪かったと思う
私は、これでもかってくらいの田舎で育った
中学までばあちゃんと一緒に生活した
高校はちょっと離れた所に下宿したのでみっちり一緒には暮らしてない
大学以降はずっと離れて暮らした
「女の子はこうせないけん」と小言をよく言われ、小さな輪の中で噂話や悪口ばかり言っているばあちゃんにイラついたりした
あとビビり屋の私は、ばあちゃんの地響きしそうなバカでかいクシャミに毎回ビクゥゥッッ!!!全身で驚き、それも嫌だった
田舎の陰険ばあさんvs外に出たい無知な若者
折り合いがつくわけ無い
それでも離れて暮らすと愛おしいし、向こうもトゲがなくなってきたりで社会人になってからやっと良い距離が取れるようになった
なかなか結婚しない私に「かわいい子やのにのぉ」と可愛らしいことを言ったりもした(ハッ!これって嫌味だったのか!?いや、まさか、、そうかも笑)
やっと結婚して結婚式に出てもらったこと、娘を見せてあげられたことは本当に良かった
会ってお別れが言えないので思い出を馳せてお別れしよう
お風呂出たあと「出たよーー!」と大声で叫んで家族に周知させてたね あれ、毎回必要だった?
小学生のころ一緒にお風呂に入ったとき、ほろほろと柔らかい二の腕を触るのが好きだったな 世の中にこんな柔らかい感触あるんや!?と感動したよ
お風呂上がり、お腹周りをパシパシ叩いてたよね。。あれ、何だったの?叩いても痩せないよ
ばあちゃんが作るところてん めっちゃおいしかったな お店で買うと違うんよ、味が お母さんアレ作れるのかなぁ
足が悪くて手術した後、自慢げに掲げた身体障碍者手帳、嬉しそうな顔に苦笑いしたよ
干し芋毎回大量に送ってくれてありがとう 実は食べきれなくて最後の方カビが生えたことあったよ ごめんね
昔は春になったら一緒に山菜取りに行ったよね 毎年暖かくなると山に入りたくてウズウズするよ ばあちゃんも一緒だろうな だって山菜取りの時のばあちゃんはいつもと違ってアグレッシブに攻めてたからね
昔はお肉嫌いだったよね なんで食べられるようになったの?すごいね
いつも食卓にでないような珍しいものがあると興味津々で「ちょっとくれや~」と言ってきたね
デイサービスで手作りした小さなひな人形 狭い我が家なので重宝しているよ 毎年ばあちゃんのひな人形出すよ
これはゴールドやけんの!質屋に持って行って金にせい!とくれたネックレス 査定価格ゼロだったよ ウケるよね
物心ついてから今までずっと同じ髪型ステイしてたけどなんで!?いつも一体どこで散髪してたの。
最後の誕生日のとき実家に電話したら「ばあちゃんもう寝てるよ~」と言われ、じゃおめでとう言っといてって声聞かなかったこと だいぶ後悔してるよ 話せばよかったな
さようならだね ばあちゃん
次家に帰るときは写真だけだけど、お墓参り行きます
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