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モヤモヤには没頭を

心が不安になったりモヤモヤするのは暇だから、という持論がある。

今もちょうど不安なことが頭の中でぽこぽこと湧いてきた。きっと暇なのだ。

不安に感じていることの9割は現実に起こらないとも聞く。
また、不安は今や未来ではなく過去に執着しているからとも聞く。

つまり、悩むだけ無駄なのだ。

今のわたしには没頭できるほどのめり込んだ趣味が無く、わりとぼやーっと生きている。

ぼやーっと生きるのも好きなので、この暇な時間も至福といえば至福だ。
ただ、暇な時間はわたしを思考の檻に閉じ込めようとする。

どこに出かけようか、何を食べようか、何を買おうか、とポジティブに悩むのは問題ないと思っている。
幸せの選択肢に迷っているだけだから。

その逆が問題だ。
もし〇〇になったらどうしよう、もし△△が起きたらどうしよう、と起きもしない不安に悩むのはダメだ。
家から出られなくなる。下手したらベッドやソファーの上から動けなくなる。

そんなこと、まず起きないのにね。
さっきまであった行動力をなぜ奪われてしまうんだろう。

多分子どもの頃のショッキングな出来事が影響してる気がする。

わたしの母方の祖父は小学生の時に亡くなった。
学校から帰ってくると留守番電話に祖父が倒れて入院となった旨が母親からのメッセージとして入っていた。これがもう最大級のトラウマ。

車で10分程度の距離に祖父母の家があり、我が家は田舎ではレアな核家族で両親は共働き、歳が離れた兄はまだ帰宅せずわたしは鍵っこ。どうしていいかわからなかったし、人生で初めて身内を失うかもしれないという状況は幼心にとてもショックだった。

闘病の末しばらくして祖父は亡くなった。授業を受けている時に呼び出しを受け、事情を説明されてすぐさま帰宅した。
わたしの学年で身内に不幸があったのは多分わたしが初めてで、それもまたショックが深く植え付けられる理由の一つだった。

当時わたしは学校で少し浮いていたというか、同級生と自分は少し違うなあと思うことが多々あった。恥ずかしがり屋なのも相まって目立ちたくないし、とにかく普通に紛れていたかった。
でも自分の力ではどうにもできないことで注目を浴びてしまうという状況が苦しかった。
これに関しては祖父に謝りたい。たくさん遊んでもらって可愛がってくれた大好きな祖父なのに、こんな孫で本当にごめんなさい。

頭の中の不安なことはめったに起きないってわかってるけど、こういうトラウマがあるから100%信じきれないんだよね。

しかも小学生の時っていう、多感オブ多感な時期なのも相まってなかなか根深い。
中学生とか高校生ならもう少しちゃんと自分のセルフケアできてたかもって思う。
携帯を持ってない田舎キッズだったから、当時は誰にも話せなかったし、誰も聞いてこなかった。多分わたしって感情が表に出にくくてわかりにくかったんだろうな。子どもながらにプライドも高くて可哀想な子って思われたくなかったし。当時のわたしよ、辛かったな。大変だったな。

もっと辛い経験をした人からしてみれば、わたしのような誰しもが経験することはそこまで根深いトラウマ経験ではないのだと思う。
問題は経験するタイミングや状況かもしれない。

今も呑気でいられる時と、勝手に不安になる時は交互にやってくる。
不安っていきなりゼロにはならないから、仕方ない。
うまく付き合っていくしかなさそうだ。

今日は久々のまったり時間が不安生成タイムに変わってしまったので、この記事を書くことに没頭することにした。

ちょっとスッキリしたかも。
なかなか考え方のクセは直せないけど、うまくコントロールしていきたいものだ。

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