桜花抄の追憶
最近よく耳にする、とある曲の歌詞。
これ、何だっけ?
聞いたことのある言葉だ。
何だかとても知っている気がする。
そんなことを思いながら、わたしはこの曲を聞き流した。
まだ肌寒く、桜なんて蕾のままの4月上旬。わたしは映画館にいた。
桜の季節に合わせて新海誠監督の「秒速5センチメートル」がリバイバル上映されるのだ。
この作品は見る年齢によって受け取り方が変わっていく作品の一つだ。10代で初めて観た時、20代前半で社会人になってから観た時とどんどん作品に対する感想が変わっていく。
わたしはこの映像の美しさと天門さんの音楽が好きで、リバイバル上映されるたびに劇場に足を運んで観ている。
ここで、冒頭の歌詞の謎が解ける。
劇場に貼られたポスターに正解があった。
秒速5センチメートルのキャッチコピーだった。全く同じというわけではないが、ニュアンスは非常に近い。
細胞レベルでこの言葉が刷り込まれている感じがした。
この作品を初めて知ったのは高校3年の時。
当時の恋人が教えてくれた。
わたしはこの彼のことが本当に大好きだった。
高3の恋愛は長く続かず、すぐに離ればなれになった。
わたしは別れてからもずっと彼が好きだった。
彼を忘れるために新たな恋を謳歌しているつもりだったが、なかなか心の奥底の歴史を塗り替えることができず、いつのまにか彼はわたしの人生において一番好きな人になった。
彼に会うことはもう無いとわかっていた。
しかし、心のどこかで期待し続けている自分がいた。
高校時代は同じ県内に住み、学校で毎日会うことができ、たまに本屋で偶然彼に会うことができた。
上京した今だって同じ県に住んでいることは風の噂で知っていた。
こんなに強く思っているのに、なぜ今は偶然にでも彼と会うことができないのか。
こんなことを一方的に考えながら、どうにもならない現実が虚しくて泣いた日もある。
わたしはこれを秒速5センチメートルの呪いだと思っている。
貴樹みたいな恋愛をし、貴樹のように過去の呪縛に苦しむのだ。
今、わたしがこの記事を書いているのは、秒速5センチメートルの呪いから抜けることができたからだ。
この呪いは本当に長かったし、辛かった。
この期間の恋愛に付き合ってくれた相手には総じて謝りたい。自己満足に振り回してしまってごめんなさい、と。
呪いが解けたのは、ちゃんと彼を諦めることができたからだ。
途方もない一方的な感情を捨て、可能性を完全に消した。わたしが幸せになる相手は彼でなくても良いのだ。
そこに気が付いてから、何年経っただろう。
今、わたしの隣には彼がいる。
2人並んで劇場で秒速5センチメートルのリバイバル上映を観た。
「あの映像は今見ても綺麗だね」と彼がしみじみと言う。
わたしも「やっぱり天門さんの音楽が好き」と噛み締めながら伝えた。
「桜が満開になったらもう一度観に行かない?」と肌寒い4月に彼は言った。
「今年は2回も観るの?」とわたしは笑った。
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