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落書きの人生。

効率的で合理的。

時代はコンピュータとともに
効率を重視してきた。

その恩恵として、暮らしは便利になり、
暇を持て余すことが増えた。

しかし、人生というのは暇をするには長すぎる。

だから、極端な言い方をすれば必要のない仕事を増やしたのだ。

効率を求めるという、
無意味な仕事を増やして、
合理的に暇を埋めることにしたのだった。

寝てても暇だから50m走をしよう。
もっと早く走るにはどうすればいいか。
よし、早く走れた分を昼寝しよう。

**

時代は効率化に進んでいるのは間違いない。

長いあいだ、効率を求め続けたゴールに行きつこうとしている。

だから、今求められる人材は、
効率化ができる人材だ。

学校ではあるべき学生。
企業ではあるべき社会人。
社会ではあるべき大人。

そんなあるべき姿に効率よくなるために
切磋琢磨してるわけだ。

効率化させるために、効率化できる人間を、効率よく育てている。

時間やお金という数字として扱って。

あぁ、
いつからホモサピエンスは、
数字で育つようになったのだ。


旅をするときに計画をする人がいる。

どこへ行けば楽しめそうかと情報を集め、
何をすれば満喫できるか模索し、
いつ帰るかいくらかかるかを考えて計画する。

よく考えてほしい。
後半の太字部分は旅の目的とは全く関係ない。


これを人生に置き換えてみる。

人生はどうすれば楽しめそうか情報を集め、
何をすれば満喫できるか模索し、
いつまで生きるか、いくらかかるかを考えて計画する。

後半部分を切り離して考えられる人は稀だろう。

なぜここまで効率化したいのか。
それはきっと、
人生とは何を成したかで決まる。
と考えているからだろう。


何かを成すには、無駄なことをしない。
これに同意する人は多い。

できるだけ無駄を省くことが、
よりよい人生に近づけると信じている人。


無駄なことなんてないよ。
これにも同意する人もいる。

一見無駄に見えることでも、
実は人生の糧になるんだよと信じている人。

何も成さなくてもいいよ。
これに同意する人は極端に少ない。

なぜダ。

私が何も成さなくても、
あなたの人生に何も影響ないだろう。


何を成したか?は
古い人生観だと私は考えている。

機械化を目指してきた時代。
あるべき姿がある時代。

世間で言われるクリエイティビティなんてのも、正体を明かせば効率化の権化だ。

あるべき姿はもう決められていて、
そこたどり着けるルートを探しだすのが
クリエイティビティだ。

よく批判の的にされる学校教育だが、
企業も社会も同じことだ。

あるべき姿が違うだけで、ゴールまで効率化させる点では学校教育もクリエイティブだ。

まさしく社会のプログラミング。

**

ここで一つだけ忘れてはならない点がある。
社会は社会であり、人生じゃない。

社会と人生を混同してしまってないか?

あるべき姿になることが、
よりよい人生だと考えていないだろうか?

人生とはどう生きるか。

と問われたとき、成功を求め、挑戦することこそ、有意義な人生だという人もいる。

私もそうだった。

しかしそれは、
社会が決めたあるべき人生
効率化させていることと変わらなかった。

社会が作り上げた立派な人間や幸福な人生を
私はより早く効率的に目指そうとしていたに
過ぎなかったのだ。


私は考えた。
人生を主語においてはダメだ。
社会が人生を蝕んでくる。

問いを変えなくてはいけない…!


君たちはどう生きるか。
多くの人の手に触れたタイトル。
しかし、これでは私は聞き手になってしまう。
どう生きるかの手本があるように思えてしまう。
しかし、あれだけ売れたのだ。
何か近しいものがあるに違いない。


私はどう生きるか。
これだ。
これが一番しっくりくる。

生きるのは、人生じゃなくて
人生って誰だ。
(人生って名前の人がいたら申し訳ない。)

何かを成すことが人生だと一体誰が決めたのだ。
一体いつから私はそう信じていたのか。

多くの人が、
誰よりも早く何かを成すことを目指し、
どうやってそれを可能にするかを考えている。

何か人生がとても窮屈に思えてくる。

人生ってさ、
もっと自由で、
可能性とか希望とか、
あるべき姿なんかとは
無縁の存在じゃなかったのか。

ああ、そうだ。
何をしているかの自己紹介はうんざりなんだ。
何を成したかのプロフィールもうんざりだ。
私はそんなことを聞きたいんじゃあない。

あなたはどう生きているのかを知りたいんだ。

それを話せる人が好きなのだ。
私を人として扱ってくれていると感じるから。

AI以上にAIになった人たちの中でふと考えしまった。

**

電話をしながらメモ帳に書いた、らくがき。
授業中にぼーっとしながら書いた、らくがき。

上手なラクガキなんてない。
下手なラクガキなんてない。
そもそもラクガキに上手いも下手もない。

なんなのかさえわからない。

ラクガキの書き方を誰かに教わったかい?

ラクガキに教科書は必要だったかい?

ラクガキを上手に描く方法なんて知ってどうする。

それはもうラクガキじゃないだろう。


私が書いたラクガキ。
それだけでいいんだ。

人生はらくがきだ。

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