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幸せの最大化より、最適化をそろそろ考えてもいいかもしれない。

現代に はびこる生きづらさや窮屈さは一体どこからくるのだろうか。

矛盾する社会だからこそ選ぶ必要があるかもしれない選択肢。

ぜひ考えてみてほしいと思います。


矛盾する社会。

矛盾する社会とは何なのか。

今現れている経済現象がまさに矛盾している状況です。

スタグフレーションという言葉をご存知でしょうか。

景気が後退しつつ物価も上がっていく現象です。
一般的に景気が上がれば物価もあがり、景気が下がれば物価も下がる動きをします。

景気が停滞する「スタグネーション」と、物価があがる「インフレーション」が同時に起こることを、スタグフレーションと呼びます。

所得が下がり、物価があがるといった現象が日本では起きています。

私のバイブル「仕事は楽しいかね」には、スタグフレーションをこう書いています。

この国の経済が新たな双子の要素を生み出したことがわかった。
今度の双子は社員レベルで生まれている。
”退屈””不安”という双子だ。
きみは、この二つは同時には生じないと思うだろう。だけど、違う。
人々は、したくもない仕事をし、同時にそれを失うことを恐れているんだ。
著書:仕事は楽しいかね

(現代にピッタリの本だと思います。)


なぜこうなったかといったややこしい話はおいて、
ここでは、現代社会には矛盾が含まれていると思っていただければ幸いです。


矛盾する選択肢。

これからどう生きるかを考えた時、こんな選択肢を出しました。

1.楽しみながら自分らしく生きるか。
2.ツラいまま他人の人生を生きるか。

もちろん私が選んだのは ”1” でした。
なぜなら自分らしく生きることが幸せだと思いこんでいたからです。

しかし、”1”を選んでも、楽しさが増えたかというと、トータル的にはあまり変わらない気がしました。
退屈ではなくなったけど、不安に襲われるからです。

反対に "2" を選ぶと、不安は軽くなるけど、退屈になるかと思います。

いったいどうすればいいのか。

こうなると、「両方のバランスをとる」みたいなありきたりな答えにいきついてしまいます。


だけど、社会が矛盾しているのなら人生の選択肢も矛盾しているのかもしれないと考えました。

それがこちらです。

ツラいまま自分らしく生きるか。
それとも、楽しみながら他人の人生を生きるか。

この質問がじつにしっくりきました。
なぜなら、どちらを選んでもそれなりに幸せになれそうと思えたからです。

巷にあふれる自分らしく生きようといった声に耳を傾けてみても、結局は誰かが言ってたあるべき幸せの伝言ゲームだったり、もしくは損得で選ばらざるをえない慰めのように聞こえて、私には選ぶことができませんでした。

そんなあるべき幸せな人生に私は共感できませんでした。
なぜなら、それは私にとって損か・得か で選ぶ未来だったからです。

本当は好き嫌いで選びたいけれど、それをすると損をする。だからといって得を選べば自分の人生じゃない気がする。

まさにスタグフレーションのような選択肢を選ばされていたわけです。

ツラいまま自分らしく生きるか。
それとも、楽しみながら他人の人生を生きるか。


成功を目指したがるのは、幸せの最大化を考えているからで、それはある意味、幸せの所有欲と言えるかもしれない。

だけど幸せは必要な分だけでいい、余分な幸せまで追い求める必要はないかもしれません。

幸せの最大化より、幸せの最適化を考えてみてもいいかましれない。

そう思った日でした。


それではまた。



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