見出し画像

【燃え尽き】また戻ってしまった

今後の自分と家族のため、情報と状況の整理のため、似たような症状を抱えて暮らす人たちのため、記録を残しておこうと思う。


燃え尽き


2024年6月13日、休職開始。
6月25日、心療内科受診、心身過労で就業に支障をきたすとして、1か月休養の診断。
当日中に上司に受診結果と診断書を共有した。


ちょうど2年程前にも、同じクリニックを受診し、適応障害の診断を受けて、3週間仕事を休んだことがあった。
今回は、今のところ「燃え尽き(バーンアウト)ではないかということだった。

今日は休職について、詳細を上司とやり取りしていた。追って、診断書の原本を労務に送ることになった。


燃え尽きるまでの経緯


5月に育休中だった上司の上司が職場復帰した。
育児中であることと、通勤時間(車で往復1.5時間程)を考えて時短勤務にしていたのだが、「彼女(上司の上司)の育休中は頑張ってみよう」という意気込みだけではなく、業務量や配置的な必要性も考えて、フルタイムに変更して働いていた。
5月からは週4日勤務にしたいと前もって伝えていた。自分や家族のケアを考えていたが、新しい業務を担当することになり、その業務をすすめるうえで土曜の出勤も想定できたので、バッファがほしかった。

5月頭には趣味で、ちょっとした演劇の公演にも5歳の娘と出演した。
1年に1回、地域の小さな手作り劇団に誘われて、昨年から参加している。
稽古は3~4 ヶ月間、日曜の午後を使って参加していた。

5月中旬には、国家資格の試験もあった。
フルタイムで働きながら、独学で約半年弱、仕事と並行して勉強を続けた。
9科目すべて合格しなければならないものだったが、1科目落として不合格。初受験はまず半分合格と思っていたから、上々の結果だったと思う。
後期日程まで、また地道に勉強を続けていこうと考えていた。

今となっては、よくこんなにも詰め込んだものだと思う。
5月中頃から心身の不調が土日の休息ではケアしきれないほどになってきている感覚があった。緊張の糸が一気に緩んだというか、どこかで切れてしまった感じもした。
上司が復帰し、週4日勤務に変更したけれど、結局週1日は必要な仕事をしたり、新しい業務の特性上、土曜日に出勤したりしていた。
「休みたい」と心の底で願いつつ、新しい業務領域への責任感のようなものもあり、休めるはずの時間もリラックスできないままに過ごしていた。

産後から続けていた、友人が教えてくれているヨガ教室も、土曜日に出勤が増えたことで行けないことが増えて、唯一と言ってもよかったリラックス&運動タイムも確保しにくくなりつつあった。
朝に日課として、短時間のヨガか散歩をしていたのも、仕事を進める時間に充てたり、疲れてやる気が起きないという悪循環になってしまっていた。

産休・育休含め、休職や退職も多い職場環境でもある。
イジメ・陰口などの陰湿な行為はおそらくほとんどないと言っていいほどクリーンで風通しの良い職場であることには感謝しかないけれど、職種的に自由な休みが取りにくく、現場にいることが求められるため、計画的な休みを自己裁量で取りにくく、「他のメンバーもがんばっているのだから」と思うと、自分だけ自由に休みを取ることにも罪悪感があった。
自立した人が希望して入職してくる場でもあり、「方向性が違うな」「無理してるな」と感じれば、違う場所を求めて職を辞していくこともあり、なかなか安定しない。
専門性やそれにまつわるスキル、コミュニケーション力やモチベーションも高い人が集まる一方で、いつも変化していて、私のように柔軟性がそんなに高くない人間にとっては、人の移動だけでかなりリソースを必要とする側面もあるかもしれない。
残された人たちが始終踏ん張っている、という感じもある。

今の会社に転職して3年目、環境適応能力が上がったといえばそうなのだが、かなり無理をして変化に合わせようとし続けていたことは間違いなく、自分のベースラインを上げた形で走ってきたのだろう。

症状


今から見れば、年度末くらいには、すでにいろいろなひずみを心身が感じていた。
産後PMSがひどくなって、産婦人科には定期通院していたけれど、漢方ではコントロールしきれないくらいに落ち込みやイライラがひどくなることがあった。
残業が増えたり無理をした1か月の後ほど、そのあとのPMSは長く、辛くなる感覚があった。

娘にイライラをぶつけてしまいそうで、ひとりになりたい時間が増えた。
イライラをぶつけてしまった時には、なんてダメな母親なんだと思ったし、
こんな状態の私とは一緒にいない方がよほどまともに育つのではないかと本気で思った。
夫も一時的に残業や休日出勤が常態化していて、家族間のバランスも偏ったタイミングだった。お互い疲れていて、それでも家事をこなしてくれる夫に、感謝とともに大きな罪悪感も感じた。

仕事でも倦怠感が始終つきまとい、頭にもやがかかったが感じがずっとしていた。
もともと記憶力は良い方ではないとは言え、ますます記憶力が低下して、ケアレスミスが増えたり、集中するのが億劫になった。
新年度を挟んで、対外的にやりとりしていた先方の担当者が変わったりして、一時的にコミュニケーションがうまくいかなくなり、仕事もスムーズに進まなくなっていた。
直属の上司にはいつでも相談できる雰囲気ではあったが、上司の上司が休み中は、彼に負担が増えることは明白だったので、なるべく自走できるようにと思い、一人で何とか出来そうなことは自己完結させていた。また、私の後輩のような立場の人が同じ業務についていたり、育休復帰してきた短時間勤務のメンバーもいたので、時々その人たちのフォローをすることもあった。
良くも悪くも、その癖がついてしまったのか、必要なことを必要なタイミングで相談することをためらっていたのかも知れないと、今になって思う。

6月に入って、会社が委託している相談窓口の臨床・公認心理士、キャリアコンサルタントの方にメールで相談していた。
2年前にも相談した人と同じ方だったので、経緯の説明などを省略できたことは、脳が疲労困憊していた私にとってかなりありがたいことだった。
何度かメールをやりとりして、今の自分の心身の状態、抱えてきた感情や不安を少し整理できたし、もう一度メンタルクリニックを受診しようと思えた。

このメールの内容を踏まえつつ、上司と1on1を行った。自分と家族の現状を伝えつつ、今は助けが欲しいことと、できれば少し休息がとれるように帰れるときには早退したりする工夫をしようということになった。

が、週明けちょっとした業務の話から、仕事中に涙があふれてしまった。
すぐに上司の上司と1on1を行い、ひとまずすその週の水曜から週末にかけて休むことになった。
これはすぐに上司の上司が判断してかなったことだ。診断書もないまま、まずは少しでも休息を確保してほしいということで、私も休めるとわかり、ホッとしたことを思い出す。

メンタルクリニックに電話したところ、折悪く休診と予約が取れない日が続き、さらに1週間休むことになった。(これも職場の好意であって、どこでも同じように休めるわけではないから、本当に恵まれていると思う…)

受診までの間は、倦怠感や脱力感、眠気や頭痛と共に過ごしていた。
最初の3日くらいは、家族を見送ってからまた寝たり、午後に昼寝をすれば軽く2~3時間熟睡して起き上がれなかったり、とにかく睡眠を欲していた。
これまでの人生であまり長く眠り続けるということができないと思っていたので、これには自分自身が驚いた。

人に会いたくなかったし、本も読めなかった。動画やアニメを見ることは出来たので、頭痛がないときはただ横になってそうしていた。
とにかく頭を使う作業ができなくなっていて、夕方帰ってきた娘のわがままに対して、うまく論理立てた説明もままならず、自分の無能さに泣けてきたりもした。

寝すぎて体が痛くなってきて、ようやく起きだせた。
入梅前後で、気温や湿度・天候も移ろいやすく、そうでなくとも心身の不調が出やすく、今日少し回復したと思っても、翌日に頭痛や無力感がやってきて家に引きこもっていた。

車が運転できるようになってきたので、近くの滝にでかけることができた。
買い物にも行けた。
少しずつ、心身の欲求を満たしながら、ようやく受診の日を迎えた。

長くなったので、続きはまた次回に。





アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…