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「適応障害」になって考えること。

1 今日の状態


診断から3日目。

朝4時40分起床。

娘の風邪がうつったのか、喉がうっすら痛み、違和感がある。

それ以外は、思ったより元気、だと感じる。

洗濯機を回し、どんより曇り空の下、近くの川沿いを散歩。10分ほど。

夫も娘も寝ているうちに帰宅、2階に上がって、ジャーナリング。

すっかり身に付いた習慣が、どん底に落ちる手前で、私を「日常」に留めている。

という…気がするだけで、医師に診てもらう決断をするぐらいだったのだし、こういう判断も、もしかしたら正常に出来ていないなかも、と思ったりする。


2 昨日のこと


朝の家事をゆっくり終わらせ、後ろめたかったので、娘の保育園への送りを夫に頼み、横になる。

いつもなら、クリアな頭脳で効率的に仕事が出来ると思っていた時間帯に、すっかり眠くなり朝寝をする。そのお陰で、少し体が軽くなる。


思っていたより元気なので、午後はひとつだけ、休職前に決めていた予定をこっそり消化。

私が今現在勤めている会社を6年前に辞めていた友人に話を聞いた。

外国籍も持つ彼は、「辞めさせられた」と言っていた。「人をあんな風に簡単に切れる組織だと驚いたし、あの時のショックがなかったら、今の自分はなかったかもしれない」とも。

彼は今、「お金を得る仕事」を週4日、午前中にだけしている。それ以外は「天職」を追求しながら、情報発信をしたり、それを収益化することに時間を費やしている。

投資も続けていて、最近家を建てたという。

今の私の状態とあまりにかけ離れているせいか、私も強く「彼のようになりたい」と思うせいか、妬みや自己否定の感情は全くわき上がらない。

むしろ、こういうことを実行し、実現しつつある人に出会えたことに感謝の念を覚える。

証券講座の準備は出来ていたのに、忙しさにかまけて、この先を保留にしていたのと、急に時間が出来て、たくさんの空白が生まれることが怖くて、彼と別れてからすぐにインデックスファンド買付を申し込む。

善は急げ、とすぐ行動した自分が、今の状態で客観的に見て、空恐ろしくなる…

彼とは、仕事のことや、パーソナリティーについても話して、最後に「楽しかった」と言ってもらえたことで、救われたような気持ちになる。


3 仕事のこと


組織で、今次々と追われているような業務内容で、かつ上司のペースとやり方に合わせるしかない進め方で仕事をすることは、私には出来ないと思うし、無理して続ければ遅かれ早かれまた不具合が出るだろう、と彼に話す。

本当は、起業して自分のペースで環境を調整しながら生計を立てられたら良いのだと言うのも、今回の件で確信した。

移り気で、プライドが高く、ワガママで、頑固。

人に使われることに、長期間耐えられないし、出来れば好きなことを好きなだけして、そこそこのお金が得られたら…と思っていたのだ。

最低なことを書いていると、自分でも思うけれど、これは四十路間際になって、「適応障害」と診断してもらって、初めて腑に落ちたことだ。

「そろそろ受け入れないとダメだね」と夫に今朝伝えたら、「まだ受け入れてなかったのか…!?」とあきれられた…そりゃ、あきれられるわけだと、我ながら思う。

そして、これまでは自分のことを、それとは真逆の人間だと思っていたのたから、目も当てられない。

一点集中出来て、他人を優先し、周囲と協調出来て、柔軟。

今回の転職を決めたのは、長期的に得られる利益を優先し、家族や自分の人生をより良く出来るし、私はそれが出来る人間だと思っていたのだ。


しかし、だ。

確かに、今回の職場に特有の要因はあった。(勤務時間に対する業務量のバランス、短期間でどんどん広がる業務内容、一人部署など)

けれど、これまでも転職パターンを俯瞰してみて、どうしても組織に属して上司の指示を仰ぎ、他人のペースを始終意識しつつ合わせながら、目標やゴールも見えないまま予告もなく目の前に積まれるタスクを片づけていくことは、私にとってはどうしても耐え難い苦痛であるということが、目に見えて明らかになった。


4 私の特性のこと


どの仕事を選択すべきなのかということと、どうしても分けて考えられないのは、私自身の特性のことである。

これまでは転職の度に、仕事が続かなかったり辞めたくなるのは、自分自身にある甘えのせいだと思ってきた。

実際、私は自分に対して「甘い」と感じることも多いし、ある状況下では実際に甘いのだとも思う。

それでも、ただの甘えや思い込み、気持ちの弱さだけでは説明しきれない、「パターン」のようなものがあり、もっと言えばその「パターン」が発生する源のようなものが、これまで気づかないで過ごしてきたけれど、私の内部にあるのではないかという思いが、ここ最近日毎に強まってきたのである。

これを調べて、理解し、受容し、対策を練らなければ、「転職先選び」ということにいくら時間と労力をかけようが、それはとても表層的なことのように思えてきた。


5 家族のこと


弟が、20代で発達障害と診断され、両親も受診はしていないものの、発達障害の明かな兆候がある。(私の子供の頃の記憶は、そのためにしあわせなエピソードが非常に少ないと思う)

弟が命を絶とうとした時に、弟はADHDと診断された(その他に二次障害も併発していたけれど)。

頼りにならなかった私の両親はさておき、その時悲惨な私たち一家のために、夫が全てを解決してくれた。

私に娘が生まれて、辛うじて私と夫はスープの冷めない距離で両親と付き合っているけれど、色々あって、弟とはほとんど音信不通の状態だ。

弟は、東京で、ほぼ絶縁状態で結婚生活を送っている(らしい)。

私は、自分自身の発達障害な精神の状態を、もっと早い段階で医学的に調べるべきたったと、今になって思う。

そして、これまでの人生を振り返り、夫と出会い、夫が根気よく側にいて、必要な場面で叱咤激励し、理解をしようとし続けてくれたことに、改めて感謝したいと思った。

娘という、新しい大切な人間を育てる、クリエイティブなことに共に向かえていることにも。


6 スペクトラム=グラデーション


マインドワンダリングを経て、また彼との会話に戻る。

私が発達障害かもしれないから調べてもらうこと、もしかしたら、もう今の職場には戻らないかもしれない(戻っても迷惑がかかりそうな職種だし、上司とも今後うまくやれないかもしれない…などと考えてしまう)、と伝えてた。

彼は、 皆そうじゃない?僕もそうだよ、と言う。

そして、

分かるかな?“spectrum”って、言うの

と言った。

この時初めて、私はスペクトラムという言葉の意味を悟った。

今の職場の前に半年間、特別支援学級の子どもたちをサポートする仕事をしていて、素人の私はたくさん本を読んだし、YouTubeで勉強をした。

その間、何度も見聞きした言葉であったにも関わらず、彼と自分たちのパーソナリティーについて話し、自分自身を「障害者」として見た時に初めて、知識としての理解した言葉から、腹落ちする体験としての言葉に変容したという気がした。

彼も、夫も、きっと、自分の内部を見つめ続けて、もがきながはそれを既に体得してきた人たちなのだと、その時同時に思ったりした。

私のグラデーションは、どの辺りに位置して、そのグラデーションを生かすには、どういう思考方法や行動を意識すればもっと生きやすくなるのだろうか…?


7  現状と、今思うこと


今のところ2週間の診断書が出ていて、来週また専門医を受診する予定だ。(初診はかかりつけの産婦人科医だったので)

専門医の診断次第で、休職が延びたり、この先に復職、場合によっては退職や転職があるのかも知れない。(いずれにしても今は考えられない)


診断書が出た当日、会社の本部、私と同じく秘書業務についている方とオンラインで話し、状況を伝えた。

その方は、遠方の在宅で仕事をしていて、直接お会いしたことはないのだが、これから一緒に働けるのが楽しみだと思っていたし、戻ってくるお気持ちがあるなら、業務量などもちろん話合いたい」と言ってくれた。

代表の私に対する評価も「細かいところにも目が行き届くし、真面目で仕事が出来るから、どんどん頼んでしまっていて申し訳ない」ということだった。

素直に嬉しかったし、ご厚意を受けている方々の仕事を一時的に増やしてしまうことに、とても恐縮している…

でも、私はそんな人間ではない、とも思う。

少なくとも、私は誰かと仕事をする時に、「真面目で、慎重」になるだけで、気の置けない仲では、「大胆で、好奇心旺盛で、チャレンジングで大雑把、後先考えない」人間になる。

そして、私が気楽で、快適でいられるのは、後者の状態でいられる時だ。

さらに、私の特性を考えれば、ここに蓋をしてまた(無意識にでも)無理しようとすれば、遅かれ早かれ、また同じ「パターン」が出てくるのだろうと思う。


娘を育てつつ、家庭を抱えつつ、経済的にも焦らないわけがない。

けれど、ここでいくら足止めを喰らおうとも、私自身ついて調査して、必要な手立てを知り、準備しなければ、今後の人生の航路で、また暗礁に乗り上げるだろう。

まだ今のうちに、「60%」のうちに気づいて良かったと考えてみたい。(医師から見たらそうではないのかも知れないけれど…)


次のnoteでは、具体的に生計を立てる手段を考えてみたい(という希望)

アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…