夕烏

夕陽ってなぜあんなにも心を打つのだろうか。特段大したことはない。日中白く照りつける太陽が傾き、空気の層や光の反射でオレンジ色に見えるだけだ。それでも、今でも夕陽を見て思い出すのはあの頃の記憶だ。
何もかもが新鮮で、それでいて終わりのある生活。チャイムがなれば帰る時間で、また明日、と言って本当に次の日再会する。それが当たり前の生活。至る所に設置されたスピーカーから流れるチャイムは、何を言っているのかわからないくらい反響し、少しずつ夜がやってくる。電車の音が微かに聞こえて、何故か、本当に何故かカレーとかじゃなくて切り干し大根の匂いがする。近くにお弁当屋さんがあったからだろうか。その家の友達とは小学生以来会ってない。元気にしてるかな。
「フラワー」となくカラスが近所にはいて、そのカラスに姉はフラワーちゃんと名前をつけていた。
友達とはまた明日も会えるし、遊べたら遊ぼうよ、という口約束ですら本当に心から約束になるのは子供の頃でなきゃ有り得ない。また明日もキックベースをするし、大乱闘スマッシュブラザーズXをするし、バトスピをするし、友達のポケモンプラチナを見てるし、駄菓子屋に行くのだ。
いつまでも続くと思っていた。
続いて欲しいと願っていた。

夕方が始まりの時間になったのはそれから10年後。
昼過ぎに起きて、家に出る頃には既に日が傾いている。夕焼けに感動を覚えなくなったのはそのせいだろう。あのころと同じ時間、同じ太陽のはずなのに、切り干し大根の匂いはしないし、友達と遊ぶとなればまず呑みかカラオケという辺りになった。楽しくないわけじゃないけど何か物足りない。
あのころ聞こえていた音の電車に乗って仕事や居酒屋に向かう。と言ってもただのフリーターだから、毎日毎日同じような生活が続く。バンドも上手くいかないし。いつまでおなじ生活をすればいいのだろう。あんなにも願っていたのに、毎日の同じ生活は本当に苦痛だ。
親の視線は痛いし、マジでどうしようと勝手だろ。と思いながらも、親不幸者にはなりたくない。

烏、何故鳴くの?
烏の勝手でしょ

アイツらが鳴く声は今では「阿呆」としか聞こえない。バカにしやがって、と腹が立つが、勝手な思い込みなので烏からしたらとんだ言いがかりである。勝手にしろと言われてもおかしくない。

「夜」は暗くなる時間から、明日へと切り替わる時間帯へと変わり、会う友達とは、次いつ会えるかも分からない日々が続く。自分も含め周りには死生観の強い奴が多いし、みんないつ死ぬかも分からないからね、と言いながら酒を飲む。どうせまた会えるし、という言葉がどれだけ信憑性の無いものかが身に染みて怖い。
まあ次の予定はないけど、生きてれば会えるよ、と言っておくことしか出来ない。
それでもまた会いたいから、この生活を続けるよ。

イントロアウトロのリードギターのフレーズは童謡「赤とんぼ」から、サビのフレーズは同じく童謡「七つの子」のメロディから作った。それを知って聞くと微かに聞こえてくると思う。
個人的にめちゃくちゃこだわって作った一曲で、サビ前のCsus4の不安定さやサビ終わりのベースとギターがすれ違う進行はとても気に入っている。
最近気づいたのだが、俺お得意の7度♭メジャーも多用していて、この頃から好きなコードだったんだなと思う。部分転調。

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