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諦めた夢との付き合いかた

ピアニストになりたかった。
正確には「ピアニストと獣医どっちも」だったのだけど。これがわたしの覚えている限りの最初に抱いた夢だった。

近所のお姉さんが弾いているのを見て素敵!と親に頼み3〜4歳からピアノ教室に通った。毎週のおけいこも、発表会も楽しかった。

でも「井の中の蛙大海を知る」というのはこういうことか、と思ったのは中学生の頃。学校の行事や合唱で、何人ものピアノが上手い子を知った。わたし自身も何年もやっているからこそ、どれだけ凄いか、自分との差を肌で感じた。

それでもその凄いピアニストたちの中で、わたしも中学3年生の時にやっとクラスの合唱の伴奏ができた。その経験を「伴奏もできたし、自分のピアノはもう終わったんだ」ということにして、教室を辞めた。美術にも集中したかったし。

それでも、社会人になってからも、ふと有名なピアニストの演奏を見たり、SNS上で動画でのサプライズ演奏みたいなものがあると、最初にピアノをやりたいと思った気持ちはじりじりと燻っていた。でも今更どうしたらいいかも分からなかった。

人と話していて、ピアノを習っていたという話になるといつもこう答えていた。「習ってたのももうかなり前だし、年数の割に弾けないから」

悔しかった。ぷるぷると震える泡のように、ピアニストという夢は弾けそうで弾けられない形でわたしの中に残っていたのだと思う。

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「もしもピアノが弾けたなら」

あの古い名曲みたいに、思いの全てを歌にできるかは分からない。でも、ピアノでしか消化できない何かがあるような気がした。

今すぐまたおけいこを受ける勇気も金銭的余裕もなかったので、去年から小さなMIDIピアノを買って試したり、おもちゃのピアノを買ってみたりした。するとどんどんと「また弾きたい」という気持ちは高まって、実家の大きな電子ピアノを送ってもらった。でも、ちょっと弾いてすぐにやめてしまった。

教室では発表会で弾くときは暗譜していた。見ないで披露できるようにしていたのだ。でも、改めて昔に弾いた曲の怪しいところを練習しようとしても、長く楽譜を読んでいないのでじっくり楽譜を読み解くのももどかしい。だから、覚えている曲の覚えているところだけ弾く繰り返しになってしまい、なんだか違う、もっと弾けるようになりたいのに!と思っていた。

もうひとつ、ずっと憧れていてたのがアコースティックギターだ。

ギターに関しては習ったことは全くない。でも父が実家でよく弾いていて、わたしにとってはすごく身近な音色だ。歌を歌うのがとにかく好きなので、もしギターで弾き語りができたら素敵だと思った。ギターを使った好きな曲もいっぱいあるし。

そんなギターも父から借りたものの、これまたずっと放置してしまっていた。

どちらも何かに役立てたいとは思っていなかった。ピアノは昔やってただけと割り切ることもできず、かといってまた本気で取り組むのも、わたしのやりたいことと違う気がした。

音楽はずっと好きだし、何かしらで関わりたいと思っているから、どんな形であれ続けたいと思う。そこで、諦めた夢との付き合い方を考えた。

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ピアノも、ギターも、まず「毎日楽器に触れる」ことを目標にした。そのために、楽器のそばにいたら楽しくなるような空間を作る工夫をした。

ピアノの場所には、Pinterestで見つけたステキな写真を貼った。写真のピアノを弾く手元が美しくてうっとりする。そして裁縫が得意な母に、鍵盤のカバーを好きな柄で作ってもらった。

ギターはケースが真っ黒でちょっといかつい感じだったので、かわいいキーホルダーをつけたり、お気に入りのタオルを用意して楽器を拭くようにした。

毎日3分でも、1音鳴らすだけでもいいと決めた。

調弦したり楽器を拭いたり、音を聴いたりするだけでも、だんだん自分の中の気持ちが変わっていった。かわいいなあステキだなぁ、やっぱり弾けるようになりたい。そうやって、今は日々の諸々の中で合間を縫って練習している。

少し弾くだけでも音で気分がよくなったり、爪の状態に気付いたり。ギターの調弦のアプリを探して使っていたら、関連して初心者がiPhoneで練習できるアプリも見つけた。何よりピアノもギターも「わたしがやっても何のためにもならない」と思っていたけれど、楽器に触れて音を聴く時間がわたしを癒してくれる、と思うようになった。

ピアノ曲で憧れている「幻想即興曲」と「ラ・カンパネラ」の無料DLサイトを見つけてクリアファイルに入れて、楽譜入れにまとめた。いつかこれを譜面台に乗せて音を追いかけられたら。初めて見る譜面は一目で分かるほど複雑で、それがカッコいいとすら思った。

大昔に発表会で弾いたはずのベートーヴェンの「月光」をまた弾きたかったので、これもプリントしてまとめた。序盤だけ弾いただけでも心がすっと静かになる。

どんどん自分が「ピアノ/ギターを弾く人」になっている感じがする。それは結局のところ自分主体の感じ方だけれど「諦めた夢」と、いい塩梅の付き合い方を見つけたのかもしれないと思う。

だからいくらでも人は夢を見ていいのだと思えた。ハッキリとした夢は色々な事情で難しいこともあるかもしれない。でも、夢見て一度手放したことを「負けたこと」のようにしなくたって、付き合う方法はたくさんあるのだと思う。

今日は朝ピアノを弾いて外出してきた。ギターを弾くのも楽しみだし、明日も明後日もそうやってわたしの懐かしい音たちに触れるのが楽しみな、そんな日々だ。


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