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ワガママに生きるにも勇気がいるようでして

「謙虚にしなさい」「ワガママはよくない」というメッセージが暗黙の了解のようにふよふよ漂っている気がする中で、違う場面では自信を持てだの自分の人生を生きろだの言われても混乱するだけで。思えばわたしはずーっとそのへんで戸惑っていたなぁと思う。

つい先日、タロットカードを引くことで少し人の役に立てるかもしれないという経験が増えて、プラットフォームに登録してみた。周りの人より自分自身のほうが驚いて戸惑っていると思う。

占いは好きだったけれど、自分が占う側になろうだなんて1μも思ったことがなかった。占いが苦手な人に引かれたら嫌だなぁと思いながら、それでも新しい世界を覗いてみたいと思った。

ちなみに、わたし自身は占いを、このコラムで書いた通り「ひとりで考え続けていても突破口が見つからないときに違う見方をくれるツール」だと思っている。

昔に、好きな人とどうしても距離を縮めたくて、友達が良いと言っていた占い屋さんに行ったことがあった。そこの占い師さんに「あなたと彼は何の縁もない」とだけバッサリ言われた。

占いに根拠がないものだと分かっていて、自分でも難しいかなと思っていても、なんだよそれ!と思って悔しくてもう一度足を運んで、もう一度同じことを言われた。その占い師さんの長くてキラキラした爪だけやたら覚えている。当時のわたしには顔を上げて睨みつける勇気はなかったのだろう。

その占い師さんと相性がよくなかったのかもしれないけれど、たとえばわたしの望みに本当に縁がない(もしくは、違う形がお互いにとって良いかもしれない)としても、今わたしがやった方がいいと思えることを教えて欲しかった。あるいは、見方を変えるとか、わたしの本当に望んでいることが違う可能性を探ってくれるとか。

今こんなことを言っても仕方がないのだけれど、色々な思いで占いを頼る人に対して、ただ結果だけを伝えるのって、どうなんだろうとずっと思ってきた。大きく「こういう人」ってカテゴライズされるのも辛くなるときがある。

それでも、昔からたくさんの人が何か目に見えないものに願いをかけたり、望みがうまくいくように占いを頼る。自分の中にもある、その心理にわたしは興味がある。

わたしが強いこだわりを持ってきた「言葉」と、あまり自覚していなかった直感のようなものが、どうやらタロットと息が合うみたいだ。今のところ他には少し星読みをしたりするくらいで、でもそれよりはタロットが合ってそうという、ふわっとした感覚だけ持っている。

人の話を聞かせてもらうときも、タロットがあると聞きやすくなる気がした。何人かの人にカードを引かせてもらって思った。

何もツールがない状態だと、どうしてもわたし個人の立場から言えることは限られてくる。でも、カードのメッセージをもとに会話をしていくと、少しだけ「わたし」から離れたことも伝えやすくなるような気がする。

人生が闇鍋みたいだな、とふと思ってTwitterのプロフィールに入れた。これから先、何が出てくるんだろう。

出てくるものにいつも自分自身が戸惑うし、表に出すことに抵抗を感じるのだけど、あれこれ言っても結局やってみないと納得しない頑固者のわたしだから、すり傷くらいならいくら負っても構わないと思えるようにしたい。

「人に好かれるように」ということが絶対に必要なことだと長く思ってきたから、好きなことをやってワガママに生きることがいくら自分に必要だと分かっていても難しい。自転車の補助輪を外すときみたいなもんなのかなぁなんて思っている。

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