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冬は踊ったらどうだい

イソップ寓話「アリとキリギリス」は有名だけれど、日本に伝わる内容と原典とはかなり内容が違うらしい。

この話を、ある本で知った。最近、自分にいい刺激をくれる本に出会えるようになってきて面白いなと思う。以前はセルフブランディングの本や、フリーランス向けの本をよく読んでいた。今は自分の家の本棚にはどれも置いていない。

「アリとキリギリス」の中では、アリは勤勉な働き者、キリギリスは怠け者として出てくる。キリギリスはヴァイオリオンを弾き、歌を歌っている。だけど冬が来た時に、食べ物がなくなりアリに頼み込んで食べ物を分けてもらう。自分の行いを反省し、心を入れ替えて働き者になる、という話。

ところが原典ではそもそも「アリとセミ」という話なのだそうだ。寓話が編まれた場所は温暖だったのでセミだったけれど、もっと寒い場所に伝わったときにキリギリスになったらしい。

そして内容もまるで違う。

原典でセミは好きな歌を歌い、冬に食べ物に困ることになる。けれどアリは「夏に歌っていたなら、冬は踊ったらどうだい」と、食べ物をあげなかった。セミは本当に野垂れ死ぬことになってしまうのだけど、こう言って死んでいく。

「歌うべき歌は歌った。私の亡骸を食べて、生き延びればいい」


食べ物をもらえたキリギリスも、もらえなかったセミも、自分が心からやりたいことをやっていた。キリギリスが「反省して働き者になる」ということは、多分ヴァイオリンや歌の時間を減らすか、無くしてしまったのだろう。勤勉な働き者になれば冬だって食べれる。だけど、セミのように心からやりたいことをやり、満足して死んでいくという生き方だってある。もちろんそれこそ茨の道だと思うし、実際に死んでしまう。

自分のために書かれたのかと思うくらい衝撃を受けた。今まで「好きなことをやって生きていきたい」と思いながら、キリギリスのように勤勉にならねばと思っていたから。


このことを教えてくれた本の著者は、絵描きになりたいと幼い頃に思い、お母さんに言う。すると苦労して音楽家になったお母さんは「フランダースの犬」を例にあげて覚悟を問う。

「好きなことをやって生きていくっていくことは、こうやって貧しさの末に死ぬことになるのかもしれないのよ、それでもいいの?」


食欲の塊みたいなわたしだけど、一人で食事するときはコンビニのおにぎりで済ませることも増えた。働いていたときはカフェにしょっちゅう行っていたけれど、その時「やっとうまく働けるようになった」と思っていたからこそ、散財が加速したのかもしれない。

いつか死ぬのならやりたいことをやりきって死んでいったセミのようになりたい。野球の4番バッターみたいに、人生にホームランを打ちたい。何度もアリのようになりたいと思ったけれどそんな風に勤勉にはなれないのだから。


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