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障害者と表現活動

「彼ら知的障害者を一生懸命”普通”になるようにして厳しい世の中に送り出すより、ありのままでいられる場所でいてもらったほうが幸せなんじゃないかと思う」

そんなことを、鹿児島にある福祉施設「しょうぶ学園」の施設長の福森さんがお話していた。2〜3年前の夏に友人と観たドキュメンタリーだ。特にこの言葉に強い印象を抱きながら帰ったことを覚えている。

施設で暮らす障害者のみんなと、温泉に入るシーン。無邪気に泳ぐ人がいた。かと覚えば一心不乱に裁縫などのクラフトに没頭する。なんとも不思議な音楽をみんなで奏でるシーンもあった。まるで外国のどこかの民族の音楽みたいだなと思った。全部が全部、わたしの頭を離れなかった。わたしも障害者のひとりだからだ。彼らは知的障害、わたしは精神障害という違いはあるけれど。

そんな福森さんのお話を、はじめて直接うかがう機会に恵まれた。福森さんがsoar conference2018でのセッションでいらしていたのだ。

福森さんは施設をはじめて最初の10年、ずっと彼ら障害者に「できないことをやらせていた」とあとで気づいたそう。たとえば木の器を作ってもらいたいと頼むと、ある障害者はどうしてもいつも穴を開けてしまう。やがて木屑をつくることが楽しくなったようで、全部木屑にしてしまう。

ぞうきんを塗ってを頼んだら、ある障害者はきれいに縫えたけれど、布と糸の塊を作った人がいたそうだ。「これでは使えない」と思ったが、ある職員が「これは綺麗だ」と言ったことが印象的だったそう。

「”できないこと”をさせているからその人は”できない人”になってしまう」

福森さんを含め、施設の人たちは、つくったものを「売ろう」としていた。でも、作る彼らは「作る」ことが楽しかった。だいたいのものづくりの教育では「完成」が幸福なものとされるけれど、しょうぶ学園の彼らは、完成すると悲しむ人も多いのだという。「作る」ことが楽しいのに、作ることが終わってしまうという、「完成の悲しみ」。

福森さんは「思ったこと」と「やっていること」がこんなにも繋がっている彼らになんども嫉妬心を覚えたのだという。

障害を持つ彼らは、右脳で感じたことに正直に生きている。健常者は社会の中で、右脳に浮かんだことも左脳の社会性で抑えつけられるように教育されている。そうしないと社会性が保てない面もある。

有名な作家さんが「僕は無人島に行って道具があったら”つくる”だろうか?」と福森さんに話し、「しょうぶ学園の彼らは”つくる”だろうね。うらやましいな」といったことを話したという。

わたしも考えた。わたしがもし無人島に行ったら「つくる」だろうか?

そもそも気圧の変化とかで弱っていそうな気もするけれども、イベントでお話を伺ってからずっと、無人島に行ったときのことを考えている。

精神の障害を持ちながらイラストレーターをやっているわたしは、福森さんのお話を伺いながら、施設の人の思いも、ものを作る障害者の人の思いもわかるような感じがした。

わたしは完全に人のケアがないと生きていけないほど重度の障害ではない。だけど、いわゆる「普通」に暮らしていける適性も持っていない。それを自分でずっともどかしく思っていた。気が狂ってしまった人になって、自分の全てを誰かに委ねてしまいたいと、そんなことが頭から離れなかったことがある。美術の専門学校での同級生のように、授業中でも描く手を止めないことはわたしにはできなくて、変に冷静な自分がいやだった。そんな自分から逃げてしまいたかった。

福森さんのセッション後、お話をしたい人たちの列に、迷った末に並んだ。並びながら、自分の伝えたいことを一生懸命に考えていた。わたしの順番になると、見つめてくれる目が暖かく、なんだか「うまく話せなくてもきっとわたしの思いを見つめてくれる」と感じた、不思議なまなざしだった。

自分も精神障害者の立場でありながら、イラストレーターをやっていること。以前にドキュメンタリーを拝見してから、今日に福森さんがお話していたように「できないことはできないのでできることをやります」という生き方に変えていったこと。そんなことをお話させてもらった。

福森さんは、「あなたみたいにグレーゾーンにいる人は強いよ」と笑ってくれた。お別れするときに差し出してくださった手はあたたかくて分厚くて、直接お話ができた喜びを噛み締めた。わたしの喉はからからになっていた。

グレーゾーン。すごくしっくりくる表現で、自分の障害も、ものづくりも、そのままあっていいような気がした。

わたしは無人島で材料があっても何も作らないかもしれない。でも、そんな自分も受け入れられたらいいな、と、そんなことを考えた。

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