私の初恋
中学1年のときだから、もう56ねんも前のこと。小学校では、親が永らく死んでいた比較的街中から郊外へ自宅建築したことから、私は小学校を2年間、越境通学していた。たいした距離でもないしうえ、環境変化も望まないことから、そのまま。しかし、虫賀港へ入学では、そうもいかず、総員3300名余に4人のその他の小学校からの入学だった。主力の2校は150名前後、それぞれに校風、生徒個人の雰囲気も違っていた。すくなくとも極少数派からは、そう見えた。
加えて、中学校という思春期の始まり、こどもから少年、まだ青年とはいえない微妙な時期のころ。学校の日課、勉学、体育なども、全然変わっていた。クラブ活動などというものも、新しい世界だった。バレーボールなどというのも理解以前に認知していないスポーツだった。バレーって、あの女の人が白い服着て踊るやつかって具合、世間知らずのこどもだった。
とりあえず多少意味合いのわかるバドミントン部。元々が、運動神経の鈍い、性格的に理解したうえでないと動けない、理解できると人並み以上、やれると自負する。理解していないうちは、避ける、逃げる、拒む、可愛げのない子供だった。下手に能書きが、理屈が達者な面もあって、さらに嫌われた。困ってことに、孤独に強く、類を求めない。男で、体格は23人中3番目、しかも上背いも、腕力も人並み以上、相撲で県大会へ出場、ものすごくでかい連中と勝負した。1回戦は勝った。でもマークされると、相撲では、そこまで技術はなかった。ただ狩りだされただけ。でもよくやったと思い出す。
さてバドミントン部でみかけた女の子、それまで女の子に、ほとんど特殊な意識は持たなかった。それが、はじめて特別な感覚を持った。まだ子供で、少年への意識的移行もなかった、性欲的な感覚も持たなかった。
奥手ではあったのだろう。そんなものかとも思った。
同じクラブではあったものの、特に話することもなく、遥か彼方から、すてきだなって思ってただけ。そのまま推移。
中学3年のとき、2クラス毎に。女子が集められ、男子は、自習、なんだそれは?結果的には、集会やりたい放題、女子の人気投票、あろうことか、彼女は、1票。私だとなぜかばれた、否定もしなかった。あっという間に、彼女に知れることになった。
別に、同行しよう行く気もなかった。青春の1ページではあった。
やりようによれば、お友達に成れたかもしれない。
それはそれで、すでに過ぎ去ったこと。過ぎ去りし日々は返らずである。
成人して、ちょっと会話する機会が一度あった。それなりに終わった。
ただ好きなタイプの第1号、それからずっと、女性を見た目に気に入るのは、似たようなタイプ。心理学者に一度、分析してほしいぐらい、なぜだ。
しかし、41年連れ添って、4人の子をなした妻は、少し違うタイプ。
それでも無事、なかよく暮らしてりうから、結果オーライである。
これも人生、あれも人生。
ちなみに、バドミントン部は数か月、次に剣道部に入った。これは、後々ものの考え方に大きな影響を与えた。特に段位などはないが、闘う、あるいは、自分というもの、やらないとやられる、相手にすきなよにされる。がんばらなくては、自分は潰れるとの思いがした、みを持って。
勉強もスポーツも、ライバルや相手があって、自分のためになる。
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