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「モヤッ」としたら、「ニヤッ」となるんです。


「へぇ、そっち行くんだ。」 
 
その日は、私の運転で夫を乗せて、夕飯を食べに出かけました。
いつも右折する道が通れなかったので、もう一本先で右折しました。
(住宅ばかりであまり知らない道だけれど、そのうちいつもの大きい通りにでるだろう。)と、そのままひたすら直進する私。
そこで、子供の頃からここで育った地元民、辺り一帯庭みたいな夫が一言。
 
「へぇ、そっち行くんだ。」
 
私:「え、今曲がったほうがよかった?」
夫:「いや、いいよ。うわ、細(道幅)。こんなとこ通らんなぁ。」
 
むむっ。ザラッとした気持ちになる私。
 
そういえば、似たような気持ちになることあるなぁ。
 
「知らないと思うけどさ。」
「わからないかもしれないけどさ。」
 
こういう枕詞みたいなひと言に、モヤッとザラッとすることがあるのです。
もしも、同じことを私が夫に言ったら…キッとなりそうなのに。
 
断っておくと、夫とはとても仲良しです。
大雑把でズボラな私を許し、細かいことは言わないし、
私のやることを応援してくれているし、大事にしてくれる、尊敬する夫です。
 
なぜ、モヤッとザラッとするんだろう。
なんだか、小バカにされている気がするから?
夫に気遣いやデリカシーが足らないの?
 
いや、そうじゃないな。
いやいや、それもあるかもしれないけれど、モヤッとザラッとするのはそこじゃない。
 
改めて考えてみると。
「ちょっといやだな」と思っているのに、何も言わない自分にざらついているのだ、と思いが至りました。
 
何も言わない私。
→けれど、ピリついている。
→なぜこうなったかわからない夫も様子見又は気づいていない
→変な沈黙になる。
(→そんな言い方するからだよ←人のせいにしている私)
→モヤッとザラッとする。
 
一瞬のことですが、分解してみるとこんな感じでしょうか。
 
では、言葉にして伝えたらいいのか。
「ちょっと!なにその上からの言い方、むかつくんだけど。」
「だったら言ってよ、言わなきゃわからないんだから。」
「…知らんし。」
 
うーむ。どれも言えそうにありません。
 
私はこういう時、なんで黙ってしまうんだろう。
思ったことを言わないで、勝手にピリピリするの、感じ悪くない?
 
それで、こんな出来事を思い出しました。
 
それは、障害をもつ長男が特別支援学校の高等部卒業間近の頃。
 
高校生までは、学校終わりに預かってお世話をしてくれる放課後等デイサービスという福祉サービスがあり、我が家も利用していました。
朝8時頃スクールバスに乗せ、週に3日ほどはスクールバス降車場に迎えに行かなくても、6時前後に自宅に送ってくださる、という素晴らしいシステムです。
 
しかし、高等部を卒業してしまうと、卒業後の福祉サービスは、自宅送迎で9時頃に送り出し、3時半過ぎに帰宅を待つ生活になります。
 
私は、夫に言いました。
「これは、私の問題ではなく、我が家の問題だよね。
私も9時過ぎから3時半終わりでは思うように仕事ができない。
一緒に考えようね。分担しようね。」と。
「もちろん。」と夫は言いました。
 
しかし。実際にその生活サイクルが始まってみると、子供のことも家のこともほぼ私です。
「手伝うとか、できる時に、じゃなくて、分担してほしい。」と
もう一度話をしました。
「それは無理。家のことを分担して、俺が止まったら事務所がつぶれるよ。」
 
後になってみればわかります。夫も事業を守ることに全力です。
家族をないがしろにするわけではなく、大事だからこそ仕事と家庭、どちらにも責任があります。
 
でも、その時の私は
「自分が正しい。私ばかり負担して理不尽な仕打ちに怒っている。それをわからせなければ。」
という考えに囚われてしまいました。
 
若いですね。エネルギーを感じます。
 
それでどうしたかというと、私の戦闘スタイル定番は冷戦です。
家の中はピリピリとして、不機嫌を隠そうともしない私に、家族が気を使っているのがわかります。
数日たつと、食事がすむとさっさと皆自室に引き上げ、私はいつもひとりガチャガチャと音をたててお茶碗を洗うようになっていました。
 
お茶碗を洗いながら、ふと、こんな声が自分の頭の中で聴こえました。
「自分の『正しい』を認めさせることが大事?」
「何のために仕事をしたいの?家族の生活がこれでもいいの?」
 
私の大切なもの。欲しいもの。
それは、家族が休まる楽しく和やかな時間。笑い。穏やかな自分。
この時のおうち時間は真逆です。
 
はぁ。間違えた。大間違い。何と戦っていたんだろう。
長男のことは、私たち家族の前提条件。
コントロールできないことをコントロールしようとしても仕方ない。
 
夫は経営者だ。私がごちゃごちゃ言っても、立場や責任は変わらない。
夫を好きなように、全力で走らせよう。
私がバランスをとる。家族を応援する。
どう考えてもその反対の役割分担は、持ち味に合っていないし、今じゃない。
 
描くビジョンは、家族の「平和」「安心」「平穏」それを優先する。
 
本当にそれが腹落ちしたら、がちがちに力んでいた心が一気にふーッと脱力しました。
 
それからというもの、「夫の仕事優先」軸がびちっと通ったので、楽に選択できるようになりました。
 
例えば、長男が自宅ですごす土曜日に受講したい講座があったら、夫の仕事がないか確認してから申込をします。バッティングしたらあっさり諦めます。
平日3時30分を過ぎる仕事を入れたいときは、あらかじめ夫が長男を引き取れる日にちを確認し、その中から選びます。
 
「どっちの仕事が重要か」「どっちが融通をつけることが多いのか」ではなく、私の基準が「夫優先」になったら、もう迷いません。
今のところ、仕事も家庭もこれでいいバランスを保っています。
 
家族は自己完結で、ある時急に元通りになった妻・母にほっとしたことでしょう。
 
ということで、冒頭のモヤッとザラッとに戻るのですが。
 
結果がそれほどのことでもないことはスルーする。
思ったことを「すぐに」「全部」言わなくてもいいのです。
 
どの道を通ろうが目的地に到着できれば、
数分沈黙になっても、そのうちに忘れたり、気分が変わります。
 
楽しくお店までドライブして食事をしてくる方が私には大事。
良いタイミングがあれば、こうしてほしいと伝えればいい。
それで相手が変わるかどうかは、わからないけど。
 
 
だから、
「もう黙っている自分にモヤッとしなくてもいいじゃん、それを選択したのだから」と思えました。
 
 
でも、モヤッとザラッとする感情って、湧いてくるからどうしようもない。
そんな時、私はこうしています。ふふふ。特別に教えましょう。
 
モヤッとザラッとのデカさに応じて、「慰謝料」と称して(だれからだれに?)
一人でケーキを食べたり、ムーミン谷のミーのキャラクター雑貨を買ったり、デパコスを買ったり、マッサージに行ったり、と自分で自分を癒しています。
どっちみち欲しければ買うものでも、ごほうびと同様
「あ、今のモヤッとで、あれしよう。」と意味を持たせるとスッとするんです、私は。いやもうむしろモヤッと歓迎。
 

むしろおいしい

「モヤッ」とが「ニヤッ」となります。
 
さらにこの頃よいのは、齢を重ねると、そもそもモヤッの沸点が高くなり、細かいことは気にならなくなってきます。
又は、覚えておくという機能が弱まるので、最近のことはじきに忘れてしまい、
ご機嫌の衣装をまとっていられる時間が長くなる、というのがこのところの実感です。
 
順調に、私の描く平穏平和の境地に近づきつつあるのかもしれません。
 
ではまた。皆さん、応援しています。

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