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キキが見せてくれた宇宙のポータル


記録として残しておきたいので、FBからこちらにコピペして残します。

4月14日。

私の大切な娘(犬)キキ、ロサンゼルス時間の火曜の夜、見事に14年の命を、私たちの腕の中で全うしました。こんな美しい死に様は見たことがない。
 
2月の中旬に少しひきつけを起こしたのでお医者さんに連れていったらガンだと診断。そこからは日に日に弱っていき、4月の初旬をすぎたころ、お散歩は急遽花壇用のカートをホームセンターで買い、それに乗っけて連れていった。

最後のオムツ生活の寝たきりは一週間。でも、亡くなる数日前まで、まさかこんなに早くいっちゃうとは思わないほど元気だった。
 
亡くなる2日前にガレージの私たちの車の上に鳥が入ってきて止まった。スティーブが亡くなった時も同じように家に鳥が入って来た。鳥は大切な存在をなくす時に知らせにくると言う。
鳥に「出て行っていいんだよ、まだ来なくていいんだよ」と告げたものの、全く鳥が動かないので、ちょっと早すぎるんじゃない?と思ったが、キキの状態を見ていると、体は終わってるな、と思ったし、この先、この状態で数ヶ月の介護が続くとキキが大きいだけに私もトムも体が参ってしまいそうだとも思ったり。
 

  
亡くなる前夜、激しいひきつけを4回ほど起こした。柔らかく抱きしめて「大丈夫だよ、息をして」と言って歌をうたってあげると、ちゃんと一緒に呼吸をし、すぐ戻った。私の言うことは全てわかるので、リーシュもいらなかったし、日本語でも英語でも通じたキキだったので、パニック症候群になってるのだろうくらいに思っていた。が、それだけにとどまらず、鼻からの流血。犬の鼻から血が出るというのは衝撃的だった。
 
亡くなる6時間前、私はファイブリズムのジョナサンのオンラインクラスに出た。もう長くないことがわかったので、オムツをしたキキの横でクラスをとり、キキのエネルギーとのラストダンスを踊ることにした。彼女のエネルギーは銀色で、半分体から出ていた。ガブリエルロスの言う、シルバーデザート。生と死の間にある最も美しい瞬間。綺麗すぎて綺麗すぎて、キキがもうその場所にいると思うと涙が止まらなかった。
 
老体のキキは痛さから一睡もできてなかったようなので体力の消耗がハンパじゃなく、一瞬一瞬どうなるかがわからない状態。私のその夜のクラスが8時からだったが、とてもクラスをするのは無理だと思い、キャンセルをし、ずっとキキと一緒にいた。7時前にはお水も全く受け付けなくなり、みじろぎしなくなった。
 
なのに、9時前くらいから、キキが急にがんばって私のほうに鼻をすりよせ、じーっと2分ほど見つめ、そのあと、トムのほうへ鼻をすりよせ同じようにして、まるでお別れの言葉を言ってるみたいだった。そのあと自力で上半身を起こしたので、手伝ってあげると、力をふりしぼってなけなしのウンチをした。食べてなかったので2日ぶりのウンチ。

そのあと、大きく伸びてストレッチをしたので、こんなに気持ちいいんだね、よかったね、といってトムと両側からキキを抱えて撫でていたら私の顔をみたまんま、ずーーっと見たまんま、呼吸が止まった。それでもじっと私を見てる。まだ心臓は動いていたが、私をみつめたまま、やがて心臓も止まって行った。

私たちはパニックになることなく、ただ、キキに大好きだよ、と言ったり、子守唄を歌った。
 
すっごい見事な最期でした。
 

 
ここ数日、トムと約束したのは、直そうとしたり、引き戻そうとしたりせず、彼女の自由意志にまかせよう、と。私たちはキキが一番楽なように、ただ、その場をホールドしよう、と決めました。
それがキキの望んでいたことだからです。私たちのエゴでお薬を無理やりあげ続けても食べない。
投薬するために、チクワの中にいれたり、ピーナッツバターに入れたり、高級スーパーのササミ、神戸牛にしたり、刺身クオリティのサーモンを焼いたり、食欲もないので日に日にゴージャスになっていきましたが、お薬を上手に分けて出してしまう。

あまりに長く患うなら注射で永眠させるという手も考えたけど、ロックダウン中、もはやこの状態のキキを動物病院へ運ぶ手段もなかった。
 
本当に自分で決めてるんだな、自分で知ってるんだな、と。
最期の数日は、キキは完全に宇宙と繋がっていた。 
そんな神秘を見せてもらった。

私のアスロトジーでは見ると、4月13&14日が「別れの日」だった。この別れを止めてはいけない。うけとめなさい、とのこと。あとでみて驚いた。そこまでキキは完璧だった。

そして、最期の見事な息の引き取り方。。。
 

しんどい時に固まっていた肉体が、最期の渾身の自力ストレッチによりキキらしい美しいカーブにもどった亡骸。とても堂々とした女性的な身体。お花で飾ってあげたいけど、スーパーとか自粛で営業時間も短くなってるし。
 
しばらくは、セージを炊き、シンギングリンを鳴らし、キャンドルを灯し、キキの世界に一緒にいさせてもらった。キキの旅立ちのリチュアル(儀式)。とても聖なる尊い時間だった。

その儀式は宇宙の中のような感じだったの。まったく宇宙のポータルがそこだけぽかんと開いたような、そんな空間。そこは絶対的な調和のある場所。キキと私と夫は、涙を流しながらも不幸じゃなく、ビジュアルエフェクトで言うならば宇宙に3人で浮いていた状態。絶対的な、神に近い場所。とてもピースフルで、とても静かで。。。

ただ違うのは、キキが呼吸をしていないので空気が止まっている。呼吸ってこんなに大きなシロモノなんだ。。。

 * * *

そのあと、本当は真夜中に開いているスーパーへお花を買いに行きたいところだったけど、コロナの自粛でスーパーもやっていないので、真夜中に夫と二人、ハサミと紙袋を持って、近所の花を盗みに出た。

たくさんのブーゲンビリアと、すみれと、ガーベラといくつかのバラ。もしかしたらセキュリティのカメラに映ってるかもしれないけど、すみません、この際許してね。私たちの愛するキキのために、キキのお散歩コースだったむこう2ブロック(2区画)から紙袋一杯分のお花をいただいた。
 
それらを持って帰って息をしてないキキの亡骸を飾ると、本当に本当に綺麗だった。

そして、すごく不思議なことに、キキには死後硬直がなかったの。最後は体内に何もものを受け付けず、一番最後は渾身の力を振り絞って体内のものを全て出し、本当に、スーっと息を引き通ったからなのか、次の日の朝になっても、キキの体は固ってはいなかった。それがとても私を安心させてくれて、キキは苦しんでアチラへ行ったのではなく、本当に見事に卒業したんだな、と思えたから。
 

14年一緒に過ごした私の犬娘。私と絶対的な信頼で繋がり、何でも理解したし、ずっとベッドで一緒に川の字で寝たし、引っ越しも一緒に3回もしたし、トムと喧嘩したときは仲直りさせるべくおどけてくれたりもしたし、毎日ダンスを一緒に踊ってくれたし、冷凍庫はキキのための手作りフードでいっぱいだったし、私が仕事でキッズの写真を撮るときは「また?」的な顔をしながら、それでもいつもモデルになって入ってくれた。
どこへも一緒に行き、完全に家族だった。

とてつもなく悲しいけど、本当に全てが美しくて、もう感謝と感動しか出て来ないよ。ありがとう、キキ、心の底から、魂全部込めて、ありがとう。
 
素晴らしい時間を一緒に過ごしてくれて、たくさんの無条件の愛を教えてくれて、あなたは私の師匠です。
  
Love love love love you forever.


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その後、動物専門の火葬場からキキを引き取りに来てもらい、数日後にキキの遺灰を取りに行き、帰りに花を買い、ウチへ連れて帰った。キキの重さはそれなりにズッシリとして、不思議な気分だが、旅立ちの儀式の時に体にのっけてあげていたフローライトが戻って来た。キキが旅立つ時に一緒にいた石。それを胸に当てると、また涙があふれた。

 ・・・

一ヶ月をすぎて感じること。

5月の風とともに切なさがやってくる。

お掃除中、もういないキキの毛がモップに付いてくる時も悲しかったけど、その毛がだんだんなくなってくるのも悲しかった。

いつも洗濯をしてもしてもとれなくて文句を言っていたキキの毛が、だんだんなくなっていって、犬と暮らしてない人のTシャツになっていった。

本当にキキがもういなくなっちゃったんだ、という証拠が突きつけられると、胸がきゅるる、と切なくなる。

だけど、こんなにも大好きなコがいてくれたということ、それは私にとってそこはかとない幸せだし、そんな気持ちがこんなたくさんの愛が私の中に芽生えたことと、彼女はいつも私の中にいるという宝モノをもらったことは、本当に感謝しかないの。

キキ、愛してくれてありがとう。笑っててくれてありがとう。愛することと信頼を教えてくれてありがとう。

キキ、私の可愛い子。 ずっとずっと大好きよ💕


(写真は、満月ハイキングへ行った時の、夫とキキ)


長いのに最後まで読んでくださったかた、ありがとうございます。

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