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その悩み、鎧の金具じゃない?

私はアメリカへ来てよかったと思っている。

なぜなら
「取り繕わなくていいから」
「日本の常識にしばられなくていいから」
「しがらみがないから」
「嫁、姑の面倒さがないから」

どうしたらいい?
どう思われる?
こうしたらヘン?
これでいいの?
お行儀が悪い、いい
私、間違ってない?あってる?
XXとしての立場で

というのが、一気になくなった。
これらの悩みは
国によって変わる。

韓国では立膝が礼儀だけど
日本で女子の立膝はお行儀がよくなく見えたり
アジア全般ではくちゃくちゃ食べたり
ラーメンすするけど(吸い喰い)
西欧諸国では音をたてたり口にいれた食べ物が見えるのは
とても礼儀的に失礼だったり
 
これらを一旦、すべて「ジャケット・制服・鎧」
としよう。

そのジャケットは、関西と関東でも、
北海道と沖縄でも違う。

そこに必死でしがみつくしかない時代があった。
うちの母たちの時代。

だけど、まだ、その名残があって
ちょうど、そのジャケットの破れや汚れを
お互いに必死で隠したり
そんな感じがするの
そんな感じがするのね。


とにかく、このしがらみがなくなると
どうなるか?

自分自身でいるしかなくなった。

勝負ではないものの
いわゆる自分自信で勝負するしかなくなった。

これね、一旦アイデンティティを失う感覚というか
楽しいけれどもバンジー飛ぶ感じもあった。

だけど、ジャケット、制服、鎧を脱ごう。

せめて鎧を脱ごう。
せめてジャケットを脱ごう。

あなたの悩みは

・本当に自分の心の悩みなのか、

 それとも
「この鎧の金具は錆びてきて人から変に思われる」という

・鎧とかジャケットの金具のことで悩んでる問題なのか

もし、この人と友達だったら
もし、ここがニューヨークだったら
もし、会社にいなかったら
もし、この姑がいなかったら
まだソレは問題なのか?

まず、そこを分けたほうがいいと思う。


そして、本当に心の中のことを

悩み

として扱って
そこの問題をしっかりとやったらいい。


日常的なそういうジャケットが脱げても

いざ、5リズムのワークショップみたいな
心と心でブチあたるようなものへ行くと
さらにそこでも見えないシールドがあったりして
何重にもなってるのだけども。。。

鎧やジャケット脱いでも
もちろん、シミーズ(昭和だ!)とか
まだまだレイヤーはあるから(笑)

必死で泣きながら
鎧の金具を磨いているよりも
脱いだあなた自身の問題で悩んでる方が
数百倍素敵だ。

お願いだから
鎧の金具や
制服の縫い目のことで
自分をいじめないで。

鎧を脱いで、裸で悩んでいるあなたのほうが
うんと素敵だ。

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