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読書に耽る

久しぶりにこんなに紙の本を読んだ気がする。朝から休日にしかできないいくつかの家事を済ませて、このゆったりした時間にまた JavaScript の修行を始めようとしたところで、本棚の一冊に目が止まった。

東京外国語大学学長や、NHKのテレビロシア語講座の講師も務めた先生だ

かなり前の出版だが、買ってすぐに読み進めていたものを半分くらい読み残して本棚に長らく収めてしまっていた。
もう一度読み直し始めたらもう止まらない。
あの独特な語り口調が数十年を経た今でも忠実に再現される。少し北関東の訛りが混じりながらも、底抜けに優しい響きの声。

大学時代、この先生の異世界的な面白さと不可解さで満ち溢れた授業は、魅了されたり、迷宮で惑わされたりと、とにかく忙しかった思い出がある。

大学祭の催しで外語学部があればお馴染みの「語劇」。各言語学科がそれぞれの言語で舞台を演じる。
私たちの時代、主にマヤコフスキーなどのロシア・アヴァンギャルドの研究に取り掛かっていた時期だったこの先生の影響もあってか、アレクサンドル・ブロークの戯曲「Балаганчик(バラガンチク・見せ物小屋)」を演じることになった。
登場人物、詩のような台詞回し、ストーリーの流れ、など「前衛的過ぎて」意味が解せない。日本語に訳して、言葉は分かっても、その意図するところが掴みきれない。全くもって知識レベルの圧倒的な不足から、朗朗とロシア語の美しい響きを詠唱するのみの舞台。
当時は「やり切った」気持ちで、演者・スタッフで称え合って泣いて感動していたものだったが、今思えば「意味」とか関係なく、あれで良かったのだと思える。日本語訛りというか、ほとんどカタカナ読みのようなロシア語ではあったが、舞台から発せられた言葉、というか「言霊」のような響きは確かに心地よかった。

そんな思い出がするすると紐解かれながら、亀山先生の声がありありと聞こえてくるようなこの本を閉じた後、さらに本棚をまさぐりだした。

新訳のカラマーゾフ。巻を重ねるごとに厚くなる

これも志半ばで書棚にしまい込んでしまったものだ。もったいない。
先生の生涯の専門分野とも言えるドストエフスキー。文学からロシアに入ったわけではない私にとって、実際ハードルがすごく高い話題。
ロシア、といえば文学、トルストイにプーシキンにドストエフスキー。ロシア好きなら深く知ってるだろ?と問われそうなだけに私にはここが弱点だ。
端っこ、すみっこくらいは齧っておいて然るべし。今からでも遅くない。

今日みたいに十分な時間をとって、読書に耽っていたい。
今は趣味でも先々で仕事にしたいと思っている「プログラミング」も圧倒的な時間練習が必要。
あれもやりたい、これもやりたい。
非常に欲張りで贅沢な悩みのようにも思えるが、何もすることがない、暇だ、と時間を潰して過ごす人からすると随分な幸せなことなのだろう。
その余った時間を是非ともタダで譲ってもらいたいものだ。


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