タイでのエピソード・その45
—その44の続き—
観光ビザツアーの当日、私は早めにオンヌット駅直結のテスコロータスへと向かった。
流石に早すぎたので、用意する書類をチェックしつつ、2階のフードコートで適当に食事を済ませ、時が過ぎるのを待っていた。
オンヌット駅直結のテスコロータスには当然、フードコートもあるし、アイスが食べたければデイリークイーンもある。
言わずと知れたトルコ風アイス。私がタイでいまいち体を絞れなかったのは、多分こいつのせいだ…。
一階には24時間営業のマックもある。他にも色々なお店が入っているのだが…とりあえず約束の場所はケンタッキーから真っ直ぐ道路側…のはずだ。
ここがケンタッキーの駐車場側。
ここから真っ直ぐ道路側へと直進していくと…
はいはい。あったあった。まぁ分かっちゃいたけど、バスはバスでも、こーいう感じのバスね。ていうか、ハイエースやん…。
…まぁ、贅沢言ってられん。これで車内片道半日、トータル2泊3日か…なかなか拷問クラスだな。
「Ah〜…Your Name?」
ガイドから、いわゆる「タイ語英語」で話しかけられた。運転手兼ツアーガイドの彼の見た目は、電波少年のチューヤンにクリソツだった(笑)。
私の中で彼の名前はチューヤンに決定した。
「ชือ Masayan ครับ(マサヤンです)」と、タイ語で返してみた。
「Oh~、ภาษาไทยแข็งมากนัาาาาาา(あら、タイ語上手だね)」とノリノリで返してくれた。
ビザツアー代金と写真、そしてパスポートとその写しを渡し、必要書類を受け取った。後はここに書き込んで渡すだけ。
バスに乗ってみたが…
なるほど…はぁ…。こりゃー楽しい旅になりそうですなぁ。内装だけは派手なんだよ。内装だけは…。これもタイ人の気質を表したもの。
初老の男性1人、その他は若い男性が4、5人と、30歳くらいの女性が1人、か。全員が日本人なので、そう言った意味では気が楽だった。
私は必要書類にしっかりと書き込みをした。ツアー会社がマニュアルを用意してくれていたので、困る事は無かった。
「どーも、こんにちは。」
気さくに一人の男が話しかけてきた。先ほどの初老の男だ。70歳…手前くらいだろうか。
「あ、こんにちは。」
「初めてですか?」
「そうですね、初めてです。」
「あー、そうですか。いやぁ、旅はやっぱり楽しく無いといけないよねぇ。皆んな良さそうな人で良かった、良かった。Kと言います、宜しく。」
「…マサヤンです。宜しくお願いします。」
…これ、である。こーいう日本人が要注意なのだ。
馴れ馴れしく話しかけてくる。そもそも、いい歳してなぜ観光ビザツアーなんぞに参加しているのか。このKというオヤジは要注意だ。
他の日本人は、若い人たちばかり。話しかけてみたが、どうやら「黒い理由」ってのを持っていない、私からみても健全な人たちの様だ。
ワーホリで来ていた人、彼氏がこっちにいる人、純粋に遊びに来ている人などなど…。皆、タイを満喫している様だった。
全員が揃った時点でようやく観光バス…もとい、「観光ワゴン」は出発した。
…これから約630km、私はこのオンボロバスに揺られ、ラオスへと向かう。
バスの車窓から、夕日に照らされるタイの大自然をぼーっと眺める。
「世界三大夕日」として有名な、釧路の幣舞橋(ぬさまいばし)の夕日を重ねた。
私のしている事は…合ってるんだろうか。正解なんだろうか。これで…良かったのだろうか。
…って、いやいや…だから、良いも悪いも無い。
自分で決めて、自分で飛んだ。それ以上でも、それ以下でも無い。人生なんて、その連続だ。ただ、それだけの話だ。その善悪なんて、誰にも決める資格は無い。私自身にすら…。
なぜかふと、S氏を思い出した。
余裕が出来たら…連絡を取ってみようか。
—その46へ続く—
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