見出し画像

「死」を身近に置く人

いつも道路で見かける縁石。

画像1

誰も気に留めないだろう。あって当たり前のもの。

これ、一つ何キロあるか知ってるかな?

実はこれ、100キロある(笑)。あなたは、100キロの塊を持って歩けるだろうか。

画像2

まぁ、普通は機械を使ったり、ネコ(手押し車)を使って運んだりするんだけどね。

私は若い頃、道路交通誘導警備員のバイトをしていた。

スクリーンショット 2021-01-15 18.01.16

その際、工事現場の作業員が二人で100キロの縁石を持って歩く姿を、何度も見てきた。二人で持っても、一人あたり50キロを担当しなくてはいけない。少しでも引きずると、監督の「ヤキ」が入る。

私は横目で「うわー、ぜってーやりたくねぇ...」と思っていた。

何と言うか、世の中には見えない苦労ってもんがたくさんある。

今回はそのバイト時代の話で、ちょっとグロい内容なんだけど...(画像は問題無いのでご安心を)。

北海道は車依存率が高いので、道路整備関連の仕事は確かに多い。そして、それと共に交通事故後の処理をする仕事も、それなりにある。

画像4

交通事故後の「処理」...と言っても色々あるが、ここで言うのはいわゆる遺体処理だ。ただ、表にはなかなか出てこない。求人募集なんかにも出てこないな...。少なくとも、私は見た事がない。

警備員として某会社の規制車に乗せてもらった時、その運転手が交通事故処理の仕事を掛け持ちしていた。

画像5

色々と話を聞かせてもらったけど...まぁーマジでやりたくない。本当に頭が上がらん。「見えない苦労」の極みだね。

北海道の交通事故は怖い。道路が広く、交通量も少ないからみんなスピードを出す。なので、交通事故=「死」に直結するのだ。

画像6

人生って、よほどの事が無ければ天寿を全う出来るでしょう?まぁ、病気もするかもしれないし、何かしらの事件に巻き込まれる事もあるかもしれん。だが、主に食事にさえ気をつけていれば、日本人なら普通に長生き出来るもんだ。

でも、もしあなたが車の運転をするなら、話は大きく変わる。みんな何気なくハンドルを握っているけど、車の運転は、人生においてダントツで死ぬ確率の高い行為だ。

画像7

普段走っている道路でも、ちょっとハンドルを切ればあの世行き。実は無意識で、スレスレの事をしている。逆に車にさえ乗らなければ、人生における死亡リスクはガクっと減るだろう。

ただ...北海道で生きるなら、そんな事言ってられない。以前も言ったが、とにかく車が無くては話にならない。

画像8

だからこそ、死亡事故もかなり多いのだ。

話を戻す。その運転手は普段、会社の仕事をしつつ、大きな事故があったら上司命令により、ヘルプとして死亡事故現場に向かう様にしていた。

彼の他にも今まで四人ほど担当していたが、四人とも辞めてしまったらしい。

画像9

うつ病、ノイローゼ、若年性アルツハイマー...。みんな、名前のある、ありとあらゆる精神病にかかって辞めていったとのこと。いや、マジで笑えない。

その事実を考えると、その運転手の精神は本当に凄いと思った。もうね、不謹慎に聞こえるかも分からんが、道路に散らばった肉片がカネに見えてくるらしい。

「目ん玉、どっかいってるな?」

「片腕がねぇぞ!どこだ?」

そのたび、彼は「どこにカネが落ちてるんだ!?」と思いながらやっているのだとか。

多分そうじゃないと、もたない。彼なりのメンタル維持法だったのだろう。

何より大変なのは、急に電話が掛かってくること。その体験談を聞かせてくれた。

「俺、ずっと娘の学校のイベントに出られなかったわけよ。父兄参観も、運動会も。で、先日久しぶりに学芸会に行けてさ。娘もすっげー喜んでくれて。でも...

男性は用もないのに電話しない

娘がステージに出ている時に電話が鳴ってね。可愛い娘の晴れ舞台を抜け出して、人間のバラバラ死体をかき集める仕事に走ったわけ。...それ以来、あんまり口きいてくれないんだ。」

...いやぁ、何と言いますか。

言葉も出ないね。

「辞めりゃいいのに」っていう、ありきたりのセリフは吐かなかった。出来るんなら、そうしてるんだろうし。

画像11

会社と役所の関係を考えると、ムリなんだろうな。

その彼が私に言った次の話は、今でも覚えている。

「この前、飲酒運転の事故処理しててさ。運転手の頭...っつーか顔全体に鉄の棒が突き刺さってて。当然、即死だよね。しかも居眠り運転だったらしい。」

私は頷きながら顔をしかめ、

「そりゃあヒサンっすね...。バカだなぁ、可哀想に」みたいに言った。

すると彼は、こう答えた。

「え?何で?最高じゃん。ずるいよね。だって、酔っ払ってめっちゃ気持ちい状態のまま逝ったんだよ?しかも夢の中で、痛みも感じずに。いいなぁ〜...。」

...私はその時、まだ22、3歳くらいだったか。

彼のそのセリフを聞いても、全く同感出来なかった。

だが今なら、彼が言いたかった事も理解出来る。

ひょっとすると「死」を身近に置く人は、普通の人よりある種「敏感」で、潜在的に理解しているのかもしれない。

この世が、いかに無価値なのかを。

そして...「死」こそが「生」である事を。



もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。