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タイでのエピソード・その28

その27の続き—

出立の日が来た。

私はその日、釧路駅まで親に送ってもらった。

親父が運転する車の中で、見飽きた景色を眺める。「呆れ」と「怒り」が混じった、どす黒い感情が私を支配していた。

ここには絶望しか無い。二度と戻ってくる事は無い。心の中でそう誓った。

おふくろがぶつぶつと私の渡タイに文句を言う。その度に殺意が芽生えた。

見送りなんて必要無かったのに…。バス代をケチるんじゃなかった。ブツクサ言うくらいならついて来んなよ、と思った。

家から釧路駅まで約20分ほど。

その間に私は「死」を覚悟していた。

本当に、本当にこれが最後だ。世間では「死ぬ気で」なんて簡単に言うが、私が今まさに、それを実践している。

返すアテの無い借金。車も売り払った。仕事も無し。音楽機材もとうとう全部手放してカネに変えた。…戻る事は無いだろう。

「…早く帰っておいで?」

おふくろがボソっとつぶやく。うるせぇよ。

…それがスイッチになったかどうかは、分からないが…その後、今までの私の人生が思い起こされた。

ずっと水商売をしてきたこの女に、私は育てられた。

行きたくも無いカトリック幼稚園に、自らの「見栄」の為に通わされた。金のネックレス、300万を超えるミンクのコート。

バブル時代に親父が稼いだボーナスを、この女は私利私欲の為に使い果たした。

そして…私を病的なまでに可愛がった。

最初は嬉しかった。

でも中学生になり、死ぬほど虐められている私を助けない(そもそもその事実を知らない)母を見て、私への愛情はただ自分の欲求を満たしたいだけのものだと悟った。

彼女のせいでカネを失った我が家には、ゴミ以外何も残らなかった。

料理もろくに勉強しない。私が指摘しても聞かない。その脂っこい料理のせいで親父は太り、私も体調を崩した。今の父がアルツハイマーなどの疾病に悩まされているのも、私から言わせるとその料理のせいだ。

親戚に指摘されてもプライドで跳ね返してきた為、一向に覚えない。こんな性格だから、我が家は親戚の中でも特に孤立してきた。

まだ景気の良いスナック経営の時代から、背中に墨の入った男と常に浮気を繰り返した。故に、我が家には衝突が絶えなかった。両親が仲良くしている所を、私は見た事が無い。

中学に入ったころ、自分の料理のせいでブクブクに太った醜い私を、彼女も親父もいきなり遠のけた。学校にも家にも、私の居場所は無かった。

私には十歳離れた兄がいるが、一度も私を可愛がる事はなかった。むしろ、私をけなしたり、バカにしたりするだけ。

大人になって分かったが、奴にはいわゆる「とりえ」が無い。見た目も不細工で、仕事も出来ず、性格も常に情緒不安定。ミスをすれば他人や運のせいにする。要はその辺にいるクズだ。そのうち人でも殺しそうな感じ。

しまいには些細な事でキレて、帰郷した際におふくろを殴って出ていった。

デリヘルで出会った、相撲取りみたいな体型の女と一緒になり、子供を作って、別れて、今は静岡?かどこかにいるらしい。…もう、身内とも思いたく無い人物だ。

さらにおふくろは、私の知らない所で万引きを繰り返した。

ついにバレた時は、私が身元引き受け人になった。ホームセンターで盗ったものは数本のボールペン。最初は頭の中が真っ暗になったが、すぐにその現実を受け入れた。どこか、「こいつならやりかねない」と思っていたのだろう。

可愛がっていた猫たちも、あっという間に毛玉だらけになった。ブラッシングをしないのだ。

皮膚呼吸が出来なくなる為、全身毛玉になってから、ハサミやバリカンで無理やり刈り取る。毛玉を吐いたり、おしっこをその辺でしたりすると、首根っこ掴み、容赦無く頭から全力で叩いた。皆、病気で死んだが、間違いなくこいつらが殺した。

掃除もしない。しても数週間に一回。特にトイレなんて滅多にしない。バスタオルも臭いまま。両親揃って、病的なまでにだらしない。

クズな母。何もしない父。サイコパスな兄。

…私は彼らを究極の反面教師とし、全力で逆行した。

(血は…本当に繋がっていたのだろうか…。)

そんな事を思いながら、駅の到着を待ち侘びた。さっさと着いてくれ。この空間に数秒たりとも居たく無い。

「早く帰っておいで?」

おふくろはその言葉を繰り返した。私はずーっと無視し続けた。

…釧路駅に到着した。私はいつも通り、徹底的に親を無視し、荷物を持って一言も喋らずホームに向かった。ハイ、さようなら。

遠くから、声が聞こえた。

「早く帰っておいで!」

…その声は、悲痛な叫び声になっていた。

「早く帰っておいで!」

…悟ったか。私が死ぬ覚悟で行く事を。お前らに俺の遺体は見せない。ざまあみろ。これ以上の復讐はあるまい。

「早く帰っておいで!…」

その叫び声は、次第に遠くなった。

…駅のホームは、あの頃からほとんど変わっていない。匂いも、雰囲気も。

ふと、幼稚園時代の頃を思い出した。

私の帰りを迎えに来た母。手を繋いで、アルコールの匂いでむせ返る末広町を歩く。そのまま、父が働くガソリンスタンドへ行き、スタンドの中で仕事が終わるのを待った。

…景気が良く、皆がカネを持っていた。おふくろも、親父も…そして我が家も比較的、穏やかだった。

「早く帰っておいで!」

おふくろの言葉が、頭の中で何度もリピートした。

「うるせぇ。今更、母親面するな。都合が良すぎるだろうが。どいつもこいつも、俺の人生を弄びやがって。ふざけんなよ。」

…心の声では無い。口に出した。

帽子のつばを下にぐーっと下げ、全てを吐き出す様に一人、嗚咽混じりの涙を大量に流した。

肌寒い季節の中、またしても私は逃げる様にタイへと渡った。


その29へ続く—

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