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自己愛
たしか十五年ほど前だった気がする。その頃はスピリチュアルにやたらハマっていた。それほど人生が追い詰められていたんだろうな(笑)。
今は社会の様々なモノを見てきたので、スピリチュアリストたちの胡散臭さも大いに分かっている。
ただ、彼らのスピーチにも「ウソとホント」が入ってる。もし「この世」ってやつに適応して幸せになりたいなら、彼らが言っている事も満更ではない。
一応、私が普段から参考にしている考え方の一つとして「自己愛のコップ理論」がある。
ここで言う「自己愛」とはナルシシズムではない。もっと深い意味で自分を愛するという意味だ。
まぁ、そのきっかけが別に「見た目」でも構わない。自分の見た目に自信があるのに、わざわざ謙遜しすぎる必要も無いだろう。
だが、自分のビジュアルを武器に不特定多数の異性と取っ替え引っ替えヤリまくる様な人は、自己愛のコップがすっからかん...かもしれない。
人間は誰もが、自己愛のコップを所有している。「無い」と言っても無駄だ。そこのあなたにも、ある。モチロンそれを何と呼ぼうが人の勝手なんだが、ここでは便宜上「自己愛のコップ」と呼ぶ。
本来、人間は自分の力で自己愛を満たすことができる。「自己愛」と言うくらいだから当たり前だ。見た目だけではない。自分を一人の人間としてしっかりと客観視し、愛する事が出来ているか?ここが肝心。
経済状況、生まれた環境、特技、知識、性格、そして親...。その全てを受け入れて、トータルで自分を愛しているかどうか。それが出来ている人の自己愛のコップは満たされている。
自己愛のコップが満たされるとどうなるのか?
まず、他人に余計な期待をせず、必要以上に干渉しなくなる。自分だけで満たされるのだから、当然の結果だ。全ての事象に対して、自己完結出来る様になるのさ。要は自己顕示欲ゼロの状態。100%、自己責任。
「え...寂しいじゃないか」と思うかもしれない。確かに。一見すると孤独で寂しいよね。だがずばり、人間の本来の姿は間違いなくこっちだと思うな。
個で満たされる。これぞ究極だと思う。何より、実際に本人がそれで満たされているなら問題無いでしょう?むしろ、これこそが真理探究の第一歩と言っても過言ではないと思うね。詳しい理由はここでは伏せるが、自分だけで満たされている状態は、本来の我々にとって正常な状態の筈だ。
社会に適応する...社会性を保つ...。確かに毎日を楽しく生きて、仕事でも成功したいなら絶対に必要な事だろう。
でもそれって、この社会の理屈、レールに従って生きる事と同義だ。即ち、自分殺し。これが出来ないと社会性を保つのは難しい。
あらゆるアニメやドラマ、教育機関などがドラマチックに浪花節を効かせて、「仲間は大事よ」「人を信じなさい」と訴え掛けてくる。
こんなんでいちいち心揺さぶられるのは、人としてあまりにも弱い証拠だ。
そして、どんなに口の上手いモチベーショナリー・スピーカーも、端的に言えば着陸させるポイントは同じ。
「この世のルールに従え。それが、成功する為の唯一の方法だ」。
——以前の私は、どう頑張っても特定の職場に適応出来なかった。すぐ上司とモメたし、実際、一般の仕事に関しては出来ない方だと思う。
それによって、「あぁ、俺は社会不適合者なのだ。これからどうしよう...。俺に価値なんてあるんだろうか」と思い始めた。その時の私の自己愛のコップは、すっからかんだ。
じゃあその時の私の様に、自己愛のコップが空になるとどうなるか?
...勿論、コップが満ちた人たちとは逆の行動を取ることになる。
コップの「愛」を「生きる為のガソリン」と捉えると分かりやすい。自己愛が無い。そして、自分でコップを満たす事が出来ない。「でも、何とかしてそのコップを満たさなきゃ...」と焦りが募り、ほぼ間違いなく他人から愛を奪う行為に走る。
思いっきりざっくり言うと、「かまってちゃん」と言うやつだ。
ナルシストなんて正にそうじゃないか?自己顕示欲の塊だよね。先述した様な、特定の異性と長く続かない人もそう。見た目が可愛くて、自ら自分を「小悪魔系」とか言っちゃうアホな女子は大体そうだね。
異性だけじゃ無くて同性でもそうだ。例えば仕事の現場で、相手にもっとハイレベルな力量、結果を求めたりする。それを「情熱的」と言えば聞こえは良い。でも、実際求められた方はどんどん疲弊してしまうだろう。
「もっと、こうしてよ。もっと、ああしてよ。なんで分かってくれないのさ。私の話を聞いてよ。私を見てよ。私を理解してよ...」。
これこそが、自己愛のコップが枯渇した人の特徴なんだよ。
結果、愛を奪われた側の人は疲れてしまい、離れていってしまう。
そして何も悟らぬまま、悪い意味で孤独になってしまうのさ。その後も他人から愛を求め続けるので、正に「負のスパイラル」状態。
「なら、特定の人と愛を分け合えば良いじゃん!」って言う人もいる。おお!なんて平和的で素晴らしい考えなのだ(笑)。ラブ&ピース!
でもね、それも合ってる様で違うんだよな。「自己愛のコップ」にはちょっとした特徴があってね...。あくまでも「自己愛」しか入れておく事が出来ない。
だから、属性が違う他人の愛を入れてもらっても、ダメ。もちろん、その時は気持ちが良いかもしれない。
一瞬だけ、満たされる状態だね。でも、それも長くは続かない。
他人の愛は、最終的に自己愛のコップに留まらず、蒸発して消えてしまう。だからまたすぐ喉の渇きを覚え、過ちを繰り返すのさ。
心当たりのある人は、結構いるんじゃないかな?
「マスクしてる人、アホすぎww調べればすぐに分かるのに。バカだねww」
「平面を理解しない、NASAのウソに気付かないバカども。聖書を読めよw」
...とかも、そうだよね。だって「理解してよ」「読んでよ」って事でしょう?
まぁ、難しいんだけどさ。
人生のパートナーとお互い支え合っている(愛を与え合っている)なら、確かにそれはそれで素晴らしいと思うよ。
だが、どちらかの自己愛が欠けていると、ひょんな事でパワーバランスが崩れてしまう。
「理想的なカップルだね」と言われていたのに急に別れてしまう人たちは、だいたいそういったパターン。やはりベストなのは、それぞれが個で満たされている状態だと思うね。
でも正直、この世には「愛」を叫ぶコンテンツが多すぎるので、私から言わせるとそれも誤誘導だと思ってます(笑)。
なので今のうちに言っておくと、別に「愛」って真理じゃないと思うんだよね。
じゃあどこがウソで、どこがホントなのか。それは、私もハッキリと言ってあげられないんだけど。
何て言うか、ややこしいよねぇ。そんな事考えなくても良い世の中にしたいね。
皆さん、自分を愛してあげましょう。
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。