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私は、疲れるとハッキリとした夢を見ると言う特徴がある。まぁ大体の人はそうなのかな。

最近、遊園地の様な雰囲気の街の、アパートを見学する夢を見た。

これこれ。まぁこれはLEGOブロックで作ったやつだけど。ホントこんな感じ。

ゲームの様な雰囲気で、ゲーム好きな私にとっては非常に満足していた。

暫くすると体がすぅーっと飛んで街を横切り、他の物件に辿り着く。

その際、先にその部屋にいた女性のレポーターが、私に「あ、ちょっと待ってくださいね!現場からは...」みたいなことを言ってくる。

もう、めちゃくちゃ(笑)。ちなみに、残念ながら田中アナではありませんでした(TへT)。

そして辿り着いた物件の中は、割とちゃんとしたところ。

木やレンガを基調とした、間接照明が特徴の温もりある部屋で、私は備え付けのパソコンデスクの座り心地を確かめる。

「うんうん、これなら悪く無いね」とか言ってる間に目が覚めてしまった。

もうね、感覚だけ言えば本当に現実世界と変わらない。多少輪郭がぼやけてるんだけど、それでも机に座って確かめるところとか、本当に現実のまま。

でも、「感触」が無いんだな。何かに触っているという実感がない。いや、「触ってる、触れてる」って分かってるんだけど、脳からの電気信号によって発生する、「痛み」を始めとした生理的な刺激を感じない。

だから、事故などを起こしてしまっても死ぬ事はない。そして、自由に空を飛び回ったり出来る。

...なんだけど、結局自分でそのストーリーを操ることも出来ないんだよね。ここも、現実と一緒なのさ。

有料記事に抵触してしまうので言葉を選ばなきゃならないんだけど、ここには絶対、この世の真理を解き明かすヒントがあると思うね。

この世って、夢をなかなか掘り下げないでしょう。「寝たら当たり前に見る自然現象」程度にしか捉えない。学校でも当然、夢を哲学させたりしない。

もちろん、夢占いなんかもある。脳科学に基づいた色々な検証なんかもあるよね。

でもどれも結局、いい加減なものばかりだ。

私としては、「夢物語」とか「夢まぼろし」とか、「まるで夢のようだ!」とか...その言い方全てが、誤誘導だと感じる。

こんな身近な現象なのに、全く疑問に思わず、検証もせずに毎日を過ごしてしまうのはあまりにも勿体ない。

最近は夢の内容を細かくチェックする様になった。どのくらい明確に覚えているのか。そして、どれくらいリアリティがあったのか、とかもね。

共通しているのは、やっぱり自分の思い通りにならない。自分の脳からのビジョンなら、普通に考えると好きに作り出せる筈だよね。

例えば自分で物語を描くなら、世界観を決めて、さらに登場人物の気持ちや生い立ちまで、当然理解して描くでしょう。でも、夢も現実と同じく先を読む事ができないし、相手の気持ちも理解出来ない。

と言う事は、下手をすると夢は自分の意識の投影ですらない。そう考えると尚の事、脳科学に基づく夢占いなんかは胡散臭すぎる。

ならば夢とは何か。そして脳意識とは何か。

...そもそも、「自分」とは何なのか。

そういう話になるんだよね。

だって起きている時も、「肉体という器に意識が入っている」という事実以外は、夢と一緒だ。なら普段の我々も、「自分の意志で肉体を動かしている」と錯覚しているだけなのかもしれない。

正直なところ、自由意志の存在証明は難しいと思うな。

「みんな自由だ!」......私から言わせれば何の根拠も無いよ。

受け入れがたい現実かもしれない。

でも、真理を追いかけるなら絶対に避けて通れない。

実は、「我々に自由意志は無く、脳は単なる媒体に過ぎない」という事実を、ある程度だが視覚的に確認する方法がある。

その辺はいつか、有料記事で触れようかな。

もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。