映画『ウォーターマン』は濃厚なブラックコーヒーよりも苦々しいドラマを描く


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 『ウォーターマン』は2020年のアメリカ映画。同年の第45回トロント国際映画祭でプレミア上映後、2021年5月にアメリカの一部劇場で公開された。現在はネットフリックスを介し全世界で観られる。監督は俳優のデヴィッド・オイェロウォが務め、脚本はエマ・ニーデルが書いた。オイェロウォにとっては初の監督作品である。

 物語は、ロニー・チェイヴィス演じるガンナーの切実な想いが軸だ。ガンナーの母親メアリー(ロザリオ・ドーソン)は重い病を患っている。その病を治したいと願うガンナーは、書物を読みあさるなど、治療法を探しもとめていた。
 そうしているうちに、ガンナーは不死の秘法を知るウォーターマンという存在について書かれた文献を見つける。実在するのか不明ではあるが、メアリーの病気を治したいガンナーは、ウォーターマンこそ希望だと確信し、旅に出る。

 旅の道中、ガンナーはホームレスのジョー(アマイア・ミラー)と出逢う。ウォーターマンを見たことがあるというジョーは、ガンナーと旅をすることになる。ウォーターマンに会うため、ガンナーとジョーはさまざまなトラブルに見舞われながらも、捜索を続けるのだった。

 本作は少年少女が主役のおとぎ話みたいな作品だ。劇中の黒い石が『ヘンゼルとグレーテル』の白い石を想起させるなど、演出や設定には古典的童話から引用したと思われるものが多々見られる。
 絵本のようなイラストが画面上で動き、登場人物とやりとりするシーンも、本作のおとぎ話な側面を強めている(アーハ“Take On Me”(1984)のMVに通じる表現方法だ)。物語が進むごとに、ガンナーとジョーが見ているものは果たして現実なのか?という幻想性が濃くなる。

 とはいえ、盛りこまれた要素は極めて生々しい。避けることが難しい喪失や、希望さえあれば何ふり構わず進んでいく勇敢さといった、人生において頻繁に訪れる情動が衒いなく描かれている。そういう意味では、濃厚なブラックコーヒーよりも苦々しい人間ドラマを展開する作品と言える。

 オイェロウォの初監督作品ということもあり、粗も目立つのは確かだ。なかでも、ガンナーとジョーが仲を深めるまでの過程があまり丁寧に描写されないところは、2人が本作の中心ゆえに悪目立ちしている。
 だが、先述のイラストが動く演出を筆頭に、興味深いアイディアや考えさせられる人生観が光るのも事実だ。その点に筆者は、オイェロウォが持つ監督としての高いポテンシャルを見いだした。



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