映画『目指せメタルロード』


映画『目指せメタルロード』のポスター


 『目指せメタルロード』は、2022年4月8日からネットフリックスで配信が始まった映画。監督は『ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気』(2015)のピーター・ソレットが務め、脚本はドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011〜2019)のD・B・ワイスが書いている。

 本作の中心キャラクターは、高校生であるケビン(ジェイデン・マーテル)とハンター(エイドリアン・グリーンスミス)だ。メタル・バンドを組んでいる2人は、メタルの道を極めることで、神の如く尊敬されたいと強く願っている。しかし周りに理解者は少なく、学校でも友だちは多くない。それでも2人は目的を達成するため、バンドコンテストでの優勝を目指す。

 本作はティーン映画の典型をなぞる場面が目立つ。わかってくれない大人に対する苛立ちと反抗、チェロ演奏を得意とするエミリー(アイシス・ヘインズワース)の存在が友情にひびを入れる展開、フリークたちがささやかな光を掴んで大団円となるストーリーなどなど。これまで数多くのティーン映画や青春映画を観てきた者ほど、あれやこれやと過去の作品を引きあいに出しながら、本作を観てしまうだろう。そうした意味で斬新さは感じられず、傑出した作品とは言えない。

 とはいえ、無視できない魅力があるのも確かだ。大人への階段を登っていくケビンの成長物語にはきらめきがある。ケビンの成長とそれに伴う変化に戸惑うハンターの幼さは、大人になるまでの移行期間、いわゆるモラトリアム特有の痛みを知る者は心の奥底がむず痒くなるはずだ。時には心を押し殺し、我慢するのが美徳の《社会人》として長く生き、老いが現実味を増してきた者からすれば、眩しすぎて目を逸らしたくなるようなエモーションが随所で見られる。

 こういった魅力がある一方で、本作が滲ませる性役割(ジェンダー)の問題を無視するわけにはいかない。特に引っかかったのは、ケビンと恋仲になるエミリーの立ち位置だ。エミリーとケビンの関係性において、女性は男性が成長するための存在に留まっている。
 視聴者によっては、ケビンとハンターが中心の物語だから、そうなるのは仕方ないと黙認できる者もいるだろう。だがエミリーは、最終的にケビンとハンターのバンドに入るなど、本作の根幹を形成するキャラクターだ。そのエミリーの背景や人生について、ケビンとハンターほど語られない脚本は粗雑と言っていい。女性は男性が大人になるための道具ではないし、女性が男性の人生に責任を持つ必要もない。この視点が欠けている本作の女性観は、筆者からすると旧態依然なものに感じる。

 ハンターの描き方も本作の欠点と言える。ハンターは当初、チェロ奏者としてエミリーがバンドに加入することを嫌がる。劇中のセリフを引用すれば、その理由はメタル・バンドがチェロを入れたら〈完璧 ゲイだ(would be completely gay.)〉というものだ。
 物語の終盤でハンターはエミリーの加入を認め、自らの認識を改めるセリフも述べる。しかし、その認識に至るまでの過程はほとんど省かれている。自身の偏見を認め、それをどう改善したのかは最後までわからない。

 本作には、女性やセクシュアル・マイノリティーを踏まないよう注意したと思われるシーンもなくはない。だが、それらに信憑性を持たせるための丁寧な描写や演出が著しく欠けている。



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