社会の精神分析
昔、とある精神分析家が、精神分析理論を使った社会論なんて無意味、みたいなことを言っていた。というのは、知っている人には懐かしく響くと思うが、かつて「象徴界の失墜」と言われるなど、ラカンの用語で社会を斬る、みたいなのがよくあったからである。ところで、思うに、その批判で言いたいのは、たとえば「象徴界の失墜」が的外れだということではなく、精神分析とはあくまでも、一個人が分析家とともに経験を各々に特異な仕方でたどり直す実践なのであって、「象徴界」のような概念を当てはめて理解する(理解した気になる)ことではない、ということだろう。自分の経験をラカンの用語でわかったような気になっても、何も起こらないのである。分析のプロセスは徹頭徹尾、具体的なのであり、だとすれば、社会の精神分析というのはそもそも無理な話だということになる。
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