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僕はトトロ嫌い


ジブリは嫌いだ。宮崎駿さんは好きだ(注)。彼の書いているコミックスはほとんど買っている。トトロは「田舎」をパラダイスのように描いているから嫌いだ。「汲み取り便所の時代」の御伽話と思えば腹も立たないが。

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都会はせわしなく、邪悪な世界であり、田舎は純粋で、人情あふれたところだと思っているのか?

都会者が嫌われるには訳があるいくらがんばって働いても、都会の連中は自分たちの米を買わない。大量生産する企業の指定農園の野菜を偉そうに買っていく。観光などと言っても高速道路で飛び飛びに降りてはガソリン使うだけだ。まあ、貧乏人のヒガミではある。

観光で来れば皆良い顔するさ、金払って笑顔を買っていると思わなきゃいけない。観光でなく田舎に来れば嫌な思いすることが多いだろう。金持ちの田舎者は直接には嫌わない(嫌がらせしない)。貧乏な田舎者に代行させる(笑)。

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農業だけでは食っていけないから、地元の企業で働きながら農業を続ける他ない。初任給15万円、毎年5000円のベースアップ。何とか現金稼がなければ子供も大学にやれない。やったところで帰ってこない。毎月家賃を払い4年後にコネがない学生には(都会の)ブラック企業しか就職先はない。戻ってきても(役人くらいしか)仕事はない。一緒に暮らしてなど貰えない。

「故郷に錦を飾る」などというのは大昔の話。今や故郷の企業は外国に生産拠点を移して地元の雇用を殺し、勝ち組だと多いばりである。

都会からの移住者地のトラブルが絶えないという

そんな所に移住して、周りの「遅れた」農家の連中に俺のパソコンのスキルで近代的な農業に目覚めさせてやるなどと思ってやつが来たらどうなる。いじめ殺されるに決まっている。

農業をやって第二の人生をなどと考えないほうが良い。農業用水の配分か作物を作る作業は集団作業なのだ。一人の農家として自給自足で生きることも困難である。廃屋の農家を買って作物育てて生きていけるという記事を見たが呆れ果てる。

地域で生きるにはその地域のルールがあって、否応なしに町内会に参加したりゴミ出しのルールやコミュニティの行事がある。とにかくめんどくさい。回覧板を配っったり町内会費を受け取ったり持ち回りで当番しなきゃいけない。僕の番区(回覧板の廻すエリア)ではみな年寄りでやりたがらないから、月替りの登板を内の奥さんが一年中やっている。

一緒に酒のんでもまず話は合わない。それはそうである。生きてきた環境が違いすぎる。一度など、同じ町内のやつと飲んで大喧嘩になったことがある。

田舎の人間は、腹の中マックロクロスケなのだ。日を浴びるとサーット隠れる。その点では写実的な映画である。

けどね、田舎の人間をそんなふうにしてしまったのは、アンタがた東京もんだよ。消費者が王様だと産物を偉そうに選び、形の悪いものなど買わない。地方出身者は東京で一生借家住まい。その家賃は誰が受け取るね?

国の機能は東京に集中して地方復興などと言っても、役人が噛むとなんでもだめになる。地方で頑張っている誰かがなにかのアイデアを見つけると、補助金という名目で地方のボスが寄ってたかってアイデアを模倣する、日本獣でエピゴーネンが生まれて競争になるがどこも勝てない。

他の地域に売れる商品を作るということはその地域の産業を殺すことになる。つまり、困っている連中が殺し合い安い商品を作れる大企業が全国に形骸化した地方産物を売る。

「循環型経済」と言う概念がある。おそらくその道が一番良い。「身土不二・地産地消」という概念もそれだ。しかし、それは自分の地域の農業に対しての価値を認めるということだ。そこに生きている人を尊敬すると言うことだ。

実に困難なことである。「幸運な病のレシピ」にもつながる思想である。

僕は33歳の時に新潟に帰ってきた。

母のつてで地元企業の社長に就職先を紹介してもらおうと思い行った。ソフトの開発をしてきたとか、パソコン講習の講師も出来るとかはなしたら、即刻、「お前の様な生意気なやつに働くところはない」と言われた。

いつもそれを思い出す。田舎は、狭く、醜悪で生きるのは辛い。一握りの金持ちがボスでそいつらの言うことを聞かない訳には行かない。都会と全く変わりないのだ。

少し違うことは、こちらでは否応なしに顔を合わせなければならないのだ。抜けだそうとも転職もままならない。都会もそうだが、選択の幅がある。僕は転職を30回以上している(何処か悪いのかもしれない)。

もう20年この土地で後ろ盾無くソフト会社をやっている。少しくたびれた。

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50年以上同じ会社で働いて僕のわがままを聞いてくれた父が亡くなって新盆である。18の時に東京に送り出してくれる時に「帰って来るな」と言ってくれた。東京で食いっぱぐれ借金まみれになって帰ってこれたのも父のおかげだ。働くところがなくてどうしようもなくなった。父は自分の務めている(総務部長として)会社に採用してくれた。会社行くのは辛かったが、すごい体験だった。


どこに暮らしても、人とともに生きねばならない。

他人の働きを食い、自分も誰かの飯の種になる。

とかくこの世は生きにくい。

人生は苦痛に満ちている。

元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい

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ジブリは嫌いだ。宮崎駿さんは好きだ。

東京にいた頃はジブリ大好きだったような気がする。田舎に帰ってから嫌いになったのだろうなあ。1993年の頃だ。 「おもひでぽろぽろ」なんかがそれ前後かもしれない。たしかあのコミックもあったなあ。みんなどこかに放り込んでしまった。しかし、会社として多くの人を雇用するとしたらテレビ局とのタイアップも、意に反することもしなければなるまいだろうなあ。

アニメージュ版のナウシカは文句なしに素晴らしいと思う。あの映画は1巻目を中途半端にちょん切って終わらせたものだからなあ。

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三鷹の森の女子会シリーズ大好き。

宮崎駿さんの一番の不幸

テレビという魔法の杖を持ったところだ。その魔法の杖はスポンサーという公序良俗を食い物に生きる金のなる木である。

食べ物屋さんも一緒、一発当てて全国チェーンを目指すのは良いけど、当然多くの人が喜ぶ食べ物を作る。多くの人が働かねばならない。作る側も食べる側も、群衆となる。奴隷の王国的とでも言おうか。そのビジネスモデルはあまり好きではない。

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おおかみこどもは細田守さんだったのだ。オマツリ男爵(多分公開直後に見ていたと思う)以来、バッチリやられていたが、急速に興味を失った。なぜだろうか。結構アニメ好きなんだなあ。


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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。