クリス・ロックさんの持ちネタで、「黒人 vs ニガー(1996年)」というものが有る(初めて知った)。何と字幕付きでアップされていたのでびっくりした。
こりゃ、ウイル・スミスに嫌われるわけである。
そして、ひっぱたかれている時に手を後ろに組んでいる。修羅場くぐっているのがわかる。
彼らは、笑い飛ばすことで、社会がおかしな方向に行っているという。観客は共感して笑う。
今の社会、「一人の成功者」は「10万人のニート」から出来ている。そして仕事がないのはその人間が無能なせいだという。本人もそう思う。公平な教育の機会と不公平な採用試験、法の下の平等と言うのは、形式さえ整っていれば結果は問われることはない。
就職試験で親が誰かは問わないと言っても、社長のご子息を落とす担当者がいるわけがない。
コンピューターの普及とマニュアル化は「人の力」を労働から奪い取った。省力化は人件費(時給)を削る方向に向かう。
労働は、共に生きる決意ではなく、安値でサービスを提供する圧となっていく。
それこそが格差の方程式である。どこに行き着くであろうか?
七人の侍の菊千代の言葉を思い出した。
泣きじゃくる菊千代.....勘兵衛が「貴様、百姓の生まれだな」と声をかける。
SNL(サタデー・ナイト・ライブ)と言う番組のことを知ったのは1980年代である。自由ヶ丘武蔵野館で「ブルース・ブラザース」を見て驚き、すでにベルーシは亡くなっていることに悲しみ、色々と調べた。
ネットなどない時代、ビデオも普及していない(「β」vs「VHS」の戦いが始まるところだった)時代であったが、「スタンダップコメディ」という存在を知った。
映画には、スタンダップコメディの出身者は多い。どうしてこの人がこの役で得るのかわからないことも多いのだが、調べていくとなるほどよく分かる。ちなみに、リーサルウエポン4(1998年)でクリス・ロッカーさんを見ていた。うるさい人だなあと思って記憶に残っていたのだが、そうだったのか。
ステージはつかれるだろうし、毎回命がけである。気に入らないと殴りに来る客もいるであろう。
それに比べて映画は嬉しいことばかりである。一回出演すれば何度も上映されて、金が入ってくる。映画という「金のなる木」は出演者とキャピタリストに無限の富を与え、消費者には還元しない。
世の中には金で買えないものが有るらしいが、金が有るとそれは消える。
映画産業に取り込まれるのは多くのステージで共感してくれた人達を裏切ることで有る。
金が儲かれば、変わる。格差の社会の上の側に行けば風景は変る。
自分に見えているものを伝えるのが芸人の役割。
しかし、その芸に金を払っている人のことを忘れてはならない。
このお話の続きです。