見出し画像

格差の方程式:私達にエデンの園はない

「パレオダイエット」と言う考え方がある。稲作以前の食べ物を食べようという考え方だ。炭水化物の農耕が多くの問題の発生源であるといいう。本も多くでている。僕もかつて糖質制限者であった頃は信じていた。

農耕以前のヒトの社会は平等で、とれたものを平等に食べ、いたわりと慈しみにあふれていたというのだ。なんの根拠もない夢物語である(笑)。

「昔は良かった」型の現実逃避の例だ(笑)。

採集狩猟型の生活は過酷だ。石器時代の人の骨を調べると、歯形がついているという。つまり、人を食べていたのだ。

ニューギニア地方の人類学的な調査においても、他の集落を襲って男は食い、子供・女は連れて帰り利用したという調査が有る。文明化して何が一番良かったかと聞かれて、夜トイレ(外に掘った穴)に行く時に毒矢が飛んでくるか警戒しなくて良くなたのが嬉しいと答えたそうである(注)。

小さな集落で人は暮らし、昆虫や小動物を捕まえや僅かな植物を獲って生きていた。飢饉になれば、多く死ぬ。日本においても食べ物がない時に人を喰った話は多い。

農耕は、他の集落の『人』を食物としてではなく奴隷として使うことで効率的に食べ物を貯蔵することが出来たから効率的であっただけである。

奴隷は、労働力であり、兵士であり、飢饉の時の食料であり便利なものだった。アメリカの兵士は貧困な家庭の子供である。議員や公務員・医師やエスタブリッシュメントの子供は兵にはならない。韓国では兵役をズルする事が問題と成り、トランプも兵役につかなかった。僕だって、子供を兵士に點せたくはない。ベトナム戦争での黒人の兵士の割合は人口比より多く、死亡率は兵士の比率より多かった。

決してエデンの園などというものはなかったのだ。

ヒトは愚かであり、それは変わらない。

僕はペシミスティックな構造主義者だ。

画像1

「人」はコミュニティで誰かに働かせて、自分は楽をする生き物なのだ(注)。

イジメ・セクハラ・パワハラは、石器時代から存在した。どの時代にも私達は他人を利用して、自分は楽をしていたのだ。

いくつかの類人猿の個体観察でも、同じようなことが言われる。ボスがいてハーレムが有り、ボスの目を盗んでハーレムのメスと交尾するオスはいて、ボスの地位を狙い破れ「離れザル」になる若い猿がいる。

しかし、ヒトは少しだけ異なっら習性を持つようになる。自分が年取った時に生き延びるための知恵を持ったのだ。

サル山でボスはおいて力を失うとひどい目に会う。それを回避する方法を見つけたのである。

「老人崇拝」と言う思想である

年寄りを敬うべきだという考え方は世界のいたる所に有る。それは自分がやがて年老いてその時に殺されたくないから作ったものだ。

「儒教、年功序列、終身雇用、年金」いずれも家族経営の会社によって守られてきたことだ。

ではなぜ今の社会では、これほど年寄りをひどい目に合わせるのであろうか?これは、「自分の楽」のために「邪魔者は消す」という思想があったおかげである。

企業の老人たちは判子押すために出社しては高額の給料を得る。役人は関連企業に天下りを繰り返して年金を手に入れる。反面、自分で給料を決められない老人は死ぬまで時給でこき使われながら年金が足りない。

家庭においては「儒教的思想」は不要になる。相続の法整備が進んだからである。金さえあれば姥捨山には行かないで済む。

まず、憲法以下の法律が個人の権利を確立した。格差が固定化されたのである。これによって、残すもの(遺産)を持った老人は権力を持った。とにかく息していれば金が残るのである。つまり老後を他人に頼る必要がなくなったのだ。そして、家族と言うシェルターの必要がなくなったのだ。

金さえあれば、結婚などしなくとも自分の欲望は満足させられるのだ。

家族が不要になった。介護の外部委託が始まるのである。

と同時に、自分に入ってくる金を一円でも多くしたいと望む。これも当たり前である。そのためには自分の所有する会社が雇っている社員に払うかネオ減らせばいい。給料を落とすのはバカでも気がつくので、福利厚生費用を落とす。社員を派遣にしてしまえばいい。

政治は社会を映す鏡だから、政治が悪いわけではない。私達が望んでいることなのである。

小さなピラミッドが無数にあった社会が、一つの大きなピラミッドに統合されたと考えればいい。企業の利益は山頂にしかない。剰余が集まるところから「教育、年金、福祉、介護」が生まれる。

地域で沢山あったピラミッドがあっという間に大きな一つのピラミッドになった。陰謀論が好きなヒトはどこそこの財閥が悪の組織なのだと言うが、それは違う。悪の組織が有ると考えるのは楽である。自分は善でいれる。

陰謀論の問題はそこだ。自分が被害者の様にに振る舞える。実際には違う。完全にすべてのことについて被害者である人はいない。

私達一人一人が悪の組織のメンバーであるし、首謀者でも有るのだ。

わずか50年の間に起こったことなのである。

剰余金が

大きなピラミッドに統合されるのは皆望んでいたからなのだ。グローバリズムが迎え入れられたのは私達自身の望んでいたことだからである。安いところから仕入れて何が悪いのか?それは自分の作った商品が売れなくなるからだ。グローバリズムで得するのはもっとも大きなピラミッドの頂点なのだ。

他の多くのピラミッドはそれなりに儲かりはっすが、いずれビジネス自身が買い取られ雇われ経営者になる。持株会社がこれだけ多いのには意味がああある。

画像4

「権威(リーダーシップ)」と「専門家(学者・預言者)」の発明である。

人と猿の違いを僕はそこに見る。長期間の記憶が可能な脳の形態となり、言語を発明して「ヒト」は生まれた。進化という連中も多いが、僕は単なる適応と考える。別に神様に近づいたわけではない。

古代エジプトでは農耕を行うために「神の意図」を知ろうとした。天に散らばった星の座の間を特定の周期で動く星々が神の意図であると考えたのである。そして(知られる限りにおける)最初の科学として占星術は生まれた。

占星術師は神のお告げを「王」に伝え、王は「貴族」に奴隷を動かさせて穀物を作りピラミッドを作った。今と全く違わない(笑)。

神のお告げを読み違えると「占星術師」は殺されるのだ。今は頭いいから「最新の知見で判明した」と言って今まで嘘ついてきたことを騙す。

騙される方が悪い。

画像2

文明が奴隷を作ったのではない

私達は、弱いものを奴隷とすることで自分が豊かになる生き物なのだ。いつの時代のどの社会を見てもこれは見て取れる。

家庭においても、子供は安いコストでこき使える。家庭においては子供は奴隷だ。兵士でもある。そして、子供は自分の跡を継ぎ一族を強く反映させる。だから、教育は家業のトレーニングであった。嫁を家に迎えること自身が家業を大きくする政策(M&A)であった。

家族・一族という枠組みの中でも「奴隷ー支配」の関係性は存在する。

しかし、家庭というコミュニティの中では、「役割の禅譲」があった。年をとった時に、子供に自分の老後を託したのである。だからまりひどいことは出来なかった。老人になった時に仕返しされる。

共に生きるということである。互いに商品を買ったり売ったりしているコミュニティにおいても同様である。商品を買う人がいて初めて商売が成り立っていた時代は背金を持ってお客さんに向き合った。

画像12

だから企業は自分たちの商品を買ってくれるヒトの老後も保証した。

年金や社会福祉はそれの制度的表れである。

しかし、「グローバリズムという獣」はそのコミュニテイも破壊した。ペゾスはアマゾンで買い物をする僕らの将来など考えもしない。ほんの20年前まではなかったことである。

国家という枠組みが、その地政学的範囲の企業から税を集め、その地政学的範囲の住民の老後を守ったのは、兵士として国を守ることと同じ考え方である。今の私達は、どう考えればいいのだ。世界を範囲にして地球市民になればいいのだろうか?

今のところその試みは、上の方の連中にはそれは成功である。失敗していると感じているのは格差の下の方の人たちである。そのために抗うつ剤が売れる。

それは格差の上の人間には都合のいいことである。ベーシックインカムなどというクソな政策を考える前に安心して生活できる時給と、労働者を人として尊重する環境を用意しろ。

薬で黙らせても無理だ。段々気がついてきている人達がいる。と思いたい。

上が変わらなけれれば、こういう社会はテロで滅びる他ない。

画像10

スクルージは自分のために改心したのである。

ところが、1980年代のグローバリズムは大きくこのルールを変えた。

私達は家業を失い、成人した子供は遠くに行く。親の仕事を次ぐこともない。教育は実業のトレーニングではなく、大きの亜ピラミッドに組み込まれるための資格試験となった。イジメは他の子供を嵌めて追い落とすための大事な技術なのだ。ここでアイツをいじめ殺しておかねば自分が進学校にはいけない。周りの子供にも見せしめにしておかねばならない。なんと恐ろしいなどと言ってはならない、この社会どこまで行ってもってもついてまわる。

しかし、親がピラミッドの頂点にいなければ上にはいけない。島耕作は夢物語である。

画像5

ではどうすればいいのか

まず、精神科に処方されている薬を何とかやめて、この現実に向き合うのだ。自分が「出来が悪いから」生活に前が見えないのではない。毎日、上司に苦しめられるのは「自己責任」ではない。しかし、テロに走るわけには行かない。じっくりと観察して、自分に出来ることを探すのだ。

薬漬けにされるのは、今あなたを奴隷にして得する連中なのだ。

50年前になかった「心の病」がどうしてこんなに流行しているのだ?この病の原因はウイルスでも特定の物質の欠乏でも過剰でもない。

社会が生んだものなのだ。鬱も統合失調症もADHDも学習障害もヒトとしてあたたり前の反応なのだ。

弾薬は難しいから専門家の意見を聞けという連中も多い。しかし専門家にとっては薬売れなければ失業である。

AA(アルコーリックアノニマス)とかドラッグからの断薬のメソッドを勉強しよう。精神科での処方は、現実に向き合う苦痛から起こる心を黙らせるのだ。自分の周りの苦痛に満ちた現実に向き合う用意ができないままに弾薬しても壊れてしまう。

十分にセーフティネットを考えて、薬の代用のものがなければ大変な目に合う可能性が大きいい。まずは勉強して、多くの人と話し合い、自分の意味を見つけねばならない。

頑張っているヒトはいる。絶望することはない。もう十分最低のところにいるのだから。

画像7

notoのある記事のコメント欄に書いた。

こんにちは精神科で治療を受ける人って社会の格差の下の方の人のような気がします。自分人生考えれば薬に走ります(自己責任の格差)。
1)会社(株式)の所有者、及びその親族
2)家賃収入のある人、及びその親族
3)自分で自分の給料を決められる方々、及びその親族
4)上記1〜3の人に贔屓されている人たち。
================================
ここから下が、格差の下になります
5)時給で一生働きながら家賃を払い続ける人
6)大きな企業の下請け会社でいつ発注を切られるかわからない人
7)ニートや失業中の方
親が1〜3の大学生は就職の面接でもフリーパスで部長クラスに名刺もらえる。4の人は、自分を引いてくれた人には絶対の服従をしなければいけないからどこでも単身赴任!給料のいい奴隷
================================
精神病院を「清朝の阿片窟」や「日本での戦後、「ヒロポン(覚醒剤)」が薬屋で売られていた時代と類比させます。
================================
ボネガットさんは奴隷時代のアメリカでは奴隷より所有者の王が自殺者が多かったいいます。あの時代は、「家族」というシェルターと宗教が私達を守ってくれていました。今や宗教は消え、スクルージは改心することもありません。

画像11

中国、清王朝の時代の精神病院の待合室

画像6

注)なんの根拠もない夢物語である

スティーブン・ピンカーさんは「暴力の人類史」の中で「バレオ主義」をはっきり否定している。この本は良い本なので読んだほうがいい。

炭水化物が人類を滅ぼす的は本も多いが、僕は今では信じていない。

炭水化物は労働に対して多くの剰余を生む。生産効率が高いのである。問題はその剰余をどう使うかである。ローマは麦を利して辺境の蛮族を奴隷にした。その余剰は権力者の娯楽に使われた。そして、ローマはテロで滅びたのである。

今の社会も、テロで滅びる他ない。

確実に日本でもテロは多くなっている。日本のテロは一人でひっそりと自殺する。アメリカは教会に行って神様ごと信者を撃ち殺す。

神さま

「気分はもう戦争」大友克洋さん、矢作俊彦さんより

僕は神を待ち望んでいるのかも知れない。こないだも危うく会いに行くところだった。

画像9



厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。