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「30年後の同窓会」神様はどこに? 格差、DV、セックとディールを考えた。

僕は映画が好きなのだが、ネット配信は嫌いだ。手軽に見れるから仕事にならないのである。アマゾンプライムの無料トライアルに入ったのだが。その事に気がついて辞めた。

とにかくずーっと違う映画流しながら仕事しているのだが、気になって仕方がない。

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いくつかの映画にハマったのだが、この映画には心底やられた。ずーっとそばにいて欲しかったから、少しだけお金使って来てもらった。

レンタルでもいいのになと思ったのだけど、何とレンタルに出ていない(笑)。そりゃそうだよね。

ちょっと面白かったのは劇中で出てくるレンタカーである。見た時に気がついたのだけど、会社名が潰されているのだ。予告編ではちゃんと出ていた。

買ったDVDではまたちゃんと出ているのだ。

昔から映画に商品を出すのはコマーシャルの一環だけど、ネット配信は隠してDVDでは出しているというのにはなんか嬉しくなってしまう。

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ブライアン・クランストンって、いいねえ。こういう立派な人になりたい(笑)。スティーヴ・カレルもこういう映画も出来るんだね。バトルオブセクシーズ良かったとなあ。

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僕がスキなのは「神の不在証明」のくだりだ。ブライアン・クランストンが、ローレンス・フィッシュバーン演じる神父に話しところだ。

若い頃(ごく最近まで)宗教は不要で、神様などという仮説は愚かしくて、あんなものが科学の発展を阻害しているのだと考えていた。

バートランド・ラッセルの「宗教は必要か」なんか嬉しがって読んでいた。ドーキンスがやっうけていたのは生命の発生と進化には神と言う仮説は必要ないということであった。実に理論的で理性的な理論である。僕は大好きなのだ。彼らの言うことには何ら反対ではない。カラマーゾフの兄弟なんかスキだったなあ。

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では、母がなくなった時に感じたあの空虚な気持ちは説明がつくのだろうか?問題はそこである。

神様などいないということはみんな分かっている。しかし現実は苦しい。

現実の苦しみを納得して受け入れるためには何らかの仮説が必要なのだ。

そして僕は、宗教(母の喪失の苦しみ)を信じているという立場から、宗教の意味を考えはじめた。宗教う信じることの意味を考えはじめたのだ。

そしてもす少し違った角度で世界が見えてきた。

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今、格差の中で私達は苦しんでいる。この不公平はどうして許されるのだ。

何も働かなくとも他人が時給から払ってくれる家賃が毎月入ってくる人たちや、「株式」と言う権利から振り込まれる金で高級外車を買える方々は別だ。そしてその権利は世襲される。財産権は守られている。

勿論彼らも会社に行ったり社長業したりしているから「働いている」事は働いている。

そして学校教育は平等なのだから、優秀な人間が高給取りになる。貧乏なのは自己責任なのだ。どんなに働いてもその賃金から一生家賃を払うとしたら、どれだけ働き続けなければならない?

自分が格差の向こうか、こちらかを判断する簡単なテストが有る。『「65歳(定年)」を過ぎても働きたいかどうかテスト』である。

毎日同じことを繰り返し、ノルマに追われ、十分な給料ももらえず、休むこともままならない。遅刻や残業があり、査定され給料が決められる。そんな人達は、きっと定年が早く来てもらいとあいと思うだろう。

会社に行ってもっふんぞり返って判子押すだけの仕事、誰かを監視して働かせるだけの仕事、天下りを何度も繰り返して退職金を何度も貰える仕事。

仕事をやめても生活の質を落とさないで、年数会の海外旅行と機会ある度のレストランでものパーティが繰り返さっる人。定年延長を望む方々はそういう人たちだ。

格差の向こう側ににいる人達である。

戦うべき相手は、そういう人たちなのだ。そういう方々の「無信仰(人を踏みにじる心)」こそが敵である。

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この格差の問題は家庭においても激しい軋轢を生む。

今の時代のDVやセックスレス、離婚の多さ、みなこの統一的な理論によって説明できる。嬉しいことであるがなんともし難い。

うちの妻は短大を出て一部上場の会社の事務員していたので向こう側だ。貯金は僕の5-6千倍くらいあって、同僚の夫様はみな年収数千万でゴルフに接待、まさに僕は「ハズレ」であった。

20年、僕がちゃんとした会社で年収が数千万円ではないのは「馬鹿」だからと思われていたのだ(笑)。これは辛い。妻の持ってきたタンスに小便かけたり、ベロベロになって窓から小便したり相当な異常行動をとった。

しかし、DVしなくてよかった。

妻は何から何まで僕に助言する。車の運転していても早く追い越しなさいとかもっと働けとか能力がないからアンタは駄目なのだとか言われるのだ。将来が不安だから思わず言ってしまうそうだ。

僕以外の人が運転していたら言わないようなことをどうして僕に言うのだと怒り出したことがある。

セックスしてもらおうと思っても、してもらえないのも仕方がない。一回ブチギレた時に、僕が高級ブランド買い与えて海外旅行にるれていけたら、セックス拒んだりしないだろうと言ったら「YES」と言われて納得した、夫婦の間でセックスはご褒美なのだ(笑)。

まあ、実際痒かったり洗ったり、汚かったり、が大変だから、セックスというのは重労働だ。あんな汚いものなめたりしゃぶったり常識では考えられない。マイクロバイオームに操られているのだ。

僕はこの現象は時代的な背景があると思う。テレビで勝ち組負け組と囃し立てながらセレブの紹介をする。そんな番組見ていれば、誰でも自分が負け組でその原因は夫に有ると思うに決まっている。ハズレ引いたと思うに決まっている。おまけにああ言う番組では、努力して頑張ったからこんないい生活できるのよと言うメッセージまでついているから、スポンサーは大喜びである。

離婚して上手く金持ち捕まえりゃと思うのは当然だ。人生楽したいのは誰でも同じ。

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この頃から、まあ、仕方がないなと思うことにしている。

かつては、結婚が神聖で運命だという信仰があった。神様が決めたという決まりだった。文句言わないで、その相手で満足しなさいということだ。

僕はこれを「欲望を閉じ込める檻」と言う表現をしている。

しかし、その戯言を信じるには、みんな同じだと実感しなければならないのだ。情報が狭く、小さい範囲で共有されなければならないのだ。

テレビで成金が通帳見せびらかして、イイ女と一発やって手切れ金を渡しているのを見れば俺も一発と思うだろう。みんな同じ様に苦しいなどというふうには思えない。

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僕ら家族のことを心配なさっている方のために一言申し添えておきましょう(笑)。

ごく最近、大喧嘩になった。父が亡くなって1ヶ月も立たない内に、介護の必要がなくなったからコンビニのバイトしろという。コロナで売上が亡くなったからそう言われるのも仕方がない。

そのとき大喧嘩になった、そして一年後に死ぬから、生命保険でお前は好き勝手しろと話した。足りないだろうが我慢してくれとお願いした。

そして、そのとき、僕を負け組で、無能だから給料が安いのだと20年思い続けてきたことを知った。

僕に見えているものを妻に話した。僕が20年間会社を作り頑張ってきたことを全く覚えていなかった事が判明したのだあ。

随分時間がかかったが、妻にわかるように「格差」の話をした。

僕と妻の生活が苦しいことや老後の年金が足りない不安や子供に残せるものがないことは、「僕の自己責任」ではないことを理解してもらうように話したのだ。

周りを見れば、親の遺産で毎月家賃が入ってきたり、株式の配当で楽に暮らす連中がいる。社長の給料が高いのは優秀だからではなく、本来みんなで分けるべき給料を自分が総取りしているからだ。

大学を出ても会社に入ったら、その先は上の覚えがいいか経営者のコネの有る連中しか高給は貰えない。親会社や納入先にはイビられコストダウンのために給料は最低だ。

グローバリズムと海外での生産移行によって、労働者は「組合」という合法的な脅迫手段を失った。

分かってくれたかどうかはわからないが、僕に人性を指示することはなくなった、。助手席には僕が座る。運転中は話さない(笑)。妻の態度が変わり娘も少し話をしてくれる。

僕もすぐに切れることはなくなった。

今までの経緯が経緯だけにセックスはお願いしていない。どうもその気にならない。アダルトサイトで十分である(笑)。もう立たないし時々はぬるく力は入るが.....。しかし、糖尿病は恐ろしいあんなに元気だったのにねえ。

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この話に続きます!二人はどうなった!


実質的にこの話の続きです。

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昔から天国などというものを真面目に信じている人はいない。死んだらおしまいだということもほぼ皆分かっている。白い服着て杖持っている人がいるなどということは誰も信じていない。

しかし、正気を保つためにはなにかを信じなければならない。共に苦しみを乗り越えるには共通の価値が必要だったのだ。だから神は存在した。

そして宗教は失われた。人生のパーツには全て価格が設定された。金があれば買える、替えなければ我慢する。金では買えないものも有るが思っているほど多くはない。(「幸運な病のレシピ」は買えない)

そして、「精神病」が生まれ、僕らは「統合失調症」や「うつ」と病名をつけられてよく聞く薬が処方される。

格差の向こう側の人間は「統合失調症」や「うつ」にはならない。ただ人生が退屈で人をボロ布のように扱うだけだ。

ボネガットさんは奴隷より奴隷の所有者のほうが自殺率が高かったと書いているが、今の時代は会社の経営者も少し待遇の良い奴隷に過ぎない。グローバル化はプラミッドの裾廻を世界全体にひっ広げた。

1%の所有者と99%の奴隷の世界なのだ。

奴隷の階級はグラディエーションがかかり、上と下の境界線がはっきりと見えない。自分が下だと思っていると実はもっと下がいる。これで下は共に団結できない。「蜘蛛の糸効果」という。

そして、奴隷たちは、家庭の中で苦しめあい、団結できないままに老人となり施設で孤独に死ぬのだ。

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50年前はどうだったろうかと考えている。夫婦は分断されていなかったと感じているが、それは昔の人が立派だったわけではない。

常に人は変わらない。環境に対して当たり前の反応なのだと言う前提から読み解くべきだと僕は考える。

離婚がほぼありえなかったのは「家庭=企業」だったから、会社辞められないように、家庭は辞められなかった。だからどんなに嫌でもセックスには応じていたのではないか?当然ディールの材料だからご褒美ももらえる。

家庭を訴えてもコミュニティでひどい目に合わせられる。不倫したら女への報復はトンデモナく重い。男はほぼ無罪放免である。

今は会社っでセクハラされても会社を辞めれない。電車の痴漢が嫌でも乗らなければならない。訴えてもひどい目に合わせられる。この2つの類型がにているには意味があるのだ。

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僕は徹底的な構造主義者だからもう少し先まで見ていきたいのだ。

父と母はなくなる直前まで一緒にお風呂に入っていた。80歳を超えれば、当然セックスは出来ない。機能的に無理である。僕は60歳でもよほどのことがないと無理だ。それでも、側にいたいというのには意味があるのだ。

老人施設では、一番の難問だ。「子供・年寄・病人・受刑者・兵士」には性欲がないことになっている。当然「教師・医師・親子」にも性欲はないことになっている。セックスしたい時にどう対処するかのマニュアルが無いということは「性欲」がないとみなされているということだ。最近の軍隊は男女混合になっているが、同僚(LGBTQ含)に対してのセックスはどうマニュアルになっているのだろう。

男女平等だから男女共学になるべきだというのは誠に良いことであるが。やりたい盛りの18歳を相手に自分の性欲をどう扱えばいいのかというマニュアルは文科省も用意していない。だから毎年何人もの教師が免職になり、「奥様は16歳」などという破廉恥なテレビ番組の放送された(R−18でなかったのが奇跡である)。

つまり、セックスとは身体をコントロールするマイクロバイオームが他の個体に移り住むために他のコロニーへ移ろうとするコントロールなのだ。だから性的な機能(濡れたり立ったり)は関係ないのだ。おそらく犬でも猫でもお構いなしだ。身体のマイクロバイオームは倫理や生物学上の区別など知らない。LGBTQは異常ではない。年の差は全く関係ない。植物を偏愛するのは異常ではない。

ああ、もう、随分前からエントリーを用意しているのだが上手くかけない(笑)。

そうそう、この話はフィクションです。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。