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ラーメン大好き:食事のガイドライン

炭水化物は毒ではない、魅力的すぎるから食事から「食べ物が持っている水=生命」を追い出してしまうのだ。そしてそんな食事が生活習慣病の原因だ。検査値の異常は食事に対する当たり前の反応なのだ。毎食、素材から食事を作って食べていると必ず余る。その余り物(ザンパノ)を捨てないで、美味しさを見つけ出すのが僕の食事だ。

そして好きなものを美味しく食べる。ただし嗜好品は控えめにする。ラーメン(炭水化物)っていうのは、美味しさを結びつける接着剤のようなものだ。大事に使えば少量でも他では味わえない極楽を食える。

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昨日のアジの唐揚げを肉と一緒に炙ったものがトッピングその1

ラーメンは糖質制限の方々から目の敵にされる。麺を半分残せとかスープは飲むなとか憂鬱になる。ラーメンはデブのもとであり、自己管理の出来なお前の象徴だと言われる。けどね、500円ポッチの食事で満腹を売るには炭水化物の力を借りなければならない。お店の人も必死だコストを低く満腹を売るのは大変だ。今回作った乾麺は100円程度だ。そのうえ簡単で美味しい満腹が詰まっている。

満足できない食事

かつてカップ麺をサイドメニューにおにぎり食っていた頃は、夜食を食うことが多かった。どうしてだろうか?身体というコロニが求めているものが食事に含まれていないのだ。

禁酒(まだ一ヶ月)してから、すっかり夕食後に「第四食」を食べなくなった。今は夕食後9時間だが空腹感はない。「なにか食べなければと言う渇望」もない。これには驚いた。当然体重は毎日減る。酒を飲めば上がる。猛烈に夜中まで何やカニやダラダラ食っておるのが悪い。

替え玉ではなく替えトッピングする

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昼に作った揚げ物(海鮮フライとゴーヤ天ぷら)が「替えトッピング」

麺を茹でれば簡単に満腹が手に入る。しかし、それだけでは、物足りないという経験は多い(別腹というやつだ)。オヤツや「栄養素入りの健康になる秘密の食べ物」を食べる。

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玉ねぎの微塵をラーメンに放り込み少し煮る。あくまで少しだけ煮る。

僕の食事のガイドラインは、「満腹を馬鹿にしない」ということだ。医師や栄養士は二言目には「腹八分目」と言う。そこにはデブは馬鹿だから食いすぎるのだという思い込みが有る。欺瞞的で愚かである。自分は痩せているのが毎日我慢しているからだと思いこんでいる。

私達は、人生の終わりに繰り返し同じような手術を受けて、何種類もの薬を飲み、やがて、「輸液・経管・胃瘻」の人生の終わりを向かるのだ。

商品化された食事がそんな人生の終わりを招き寄せているのだ。私達は忙しすぎる。食事を作る余裕はないという。けどね、素材から作る食事は500円では買えない。同じ満腹でも、僕の作る毎日の食事は金には換算できない。自分にピッタリの食事は売っていないのだ。

体重という検査値の異常は単に食事に対しての、身体の「当たり前の反応」である。もっと恐ろしい状態が進行しているのだ。医師や栄養士の「太鼓判押している食事」は私達を長期的に殺す。誰でも健康になれる食事などはない。そしていずれ皆死ぬ。その瞬間に幸せかどうかが僕には問題だ。

高いビルから落ちていても、地上に激突するまではピンピンしている。身体が壊れる時まで検査値は正常であろうとする。今日の検査値の正常は明日の健康を何ら保証しない。

自覚的に食事を見つめることだ。多くの人が苦しんでいるような食事と同じような食事をすれば、あなたもそうなる。身体は食事の反映なのだ。僕は医者や栄養士の太鼓判押す食事は避ける。「政治的に正しい栄養学は」皿の上に何が載っているかばかり気にするが、いちばん大事なことは、その食事がどういうプロセスで作られたかである。

医者も栄養士も自分がレールの上に乗っていることに気が付かない。

統計的に私達は施設や病院で辛い死に方をする。それは『特別な毒・高価な何かの欠乏』が原因ではない。50年前には当たり前だった「家族の食事」を失った結果である。

食事の後で何か食べたくなるのは。その食事のどこかに問題がある。自分にピッタリの食事ではないのだ。

売っていないものは作る他ない。それに気がつけた僕は幸運だ。


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そうそう、僕ねえ、お蕎麦も素麺も好きなんですよ。

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夏には冷やし中華が外せない。

1人分の麺を1/3ずつ食べるが、無理しているわけではない。トッピングで満腹になるのだ。


どうもこの頃から萌芽はあったようだ、まだ失明宣告をうける前だが、トッピング重視である。

実は冷麺も好きだ

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。