夜食バンザイ、人は心で食べる。飲まなきゃ食っちまうもんだなあ。
ここしばらく、酒が止まらなかった。取り掛かっている仕事の先がっ見えなかったのだ。数日前にブレイクスルーがあった。2週間遅れであるがなんとか生き延びれそうだ。正月も有るから少しだけ時間が稼げる(笑)。
酒を飲まないでこのまま仕事するぜと思いながら、小腹がすいたのでカップ焼きそば(僕が買ったのではない)をこっそり食べた。とは言っても、大好きである。パスタも、ウドンも蕎麦もピザも大好きなのだ。
あまりの旨さに、しびれた。
ご飯と納豆をお変わりした。ドロたまが合いそうだったので作ってあったものを入れた。タクワンは美味しく漬かっている。
食わなくとも良いものを食ってしまった。(ゴエモン風に)
まあ、仕方がない、人生である。
今日は初雪であった。そういえば、しばらく庭に行っていない。僕はこの時期の庭が好きだ。晴れると良いなあ。
今年は色々とあったが精神的には落ち着き始めている。仏壇線香を上げてきた。
「食事」がいかに重要なものであるのかということを考え続けている。youtubeも2500本になった2017年からの3年弱である。死ぬまで続ける予定だ。いかに栄養学の食事指導が間違えているかを見つめていきたい。
僕は医学によって殺されるところだった。
「商品化された食事」は多くの災厄をもたらしている。「原因のない症状だけの病」だ。しかし、問題は「この商品」によって多くの利益が生み出されているところだ。あまりに大きな社会の一部のなっている。
そして、生活習慣病という「流行り病」は医師にとっても生活の上で欠かせないものになっている。
なんともなりそうにない。
医師の食事指導にしたがってはならない、治療・手術は避けて食事を変えてみよう。
noteを見ていると様々な病気に苦しんでいる人がいる。
外科的な手術は回復ができない状態に落とし込む。できるだけ早めに気がついたほうが良い。僕は2015年に眼底のレーザ手術を行わないでよかったと思っている。
「心の病」も僕は「生活習慣病」だと思っている。
食事を作って私たちを守ってきた「家庭」から追い出された人の物語なのだ。そして、これも環境に対しての「身体=心」の当たり前の反応なのだ。
DSM5批判の本を読んでいる。どこかでまとめなければならない。
統合失調症で薬漬けにされるところだった。
しかし、学校(小中高校)での「薬の処方量」って公式にどのくらいなのだろうか?
仕事するつもりが食いすぎたので少し寝ることにする。
いかんいかん。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。