食事の価値、揚げ物一式(メンチ・鳥・鮭)、タルタル、朝の一皿、夜の一皿、マユのご飯
昨日は楽しかった。久しぶりにビールと酒を飲んだ。妻も少し飲んで足がフラフラするという。娘も気遣ってくれた。2009年から一直線に頑張った仕事が一段落したのである。200万円近くの売上がなくなったというのに、キッチンは優しかった。コロナで2回中止となり、2回受注を逃した。
沢山の自治体と仕事をした。契約を結び、共に仕事をした。嫌なことも多かった。しかし、すばらしい出会いも多かった。
客商売というのはそいうものである。
思うことはたくさんある。毎年の大きな金額の売上がなくなったのであるから家計には大変である。コロナで2年連続で中止になった時に、妻は「もう止めたらどうか」と言ってくれた。毎年大変な仕事量であることを同じ場所で見ていてくれたのである。
売上がないからパートに出なければならないのに、不平を言わないでくれる。元気な内は一生懸命働いて共に元気に生きたいと思う。
仕事と言うのは不思議なものだ。自分自身なのだから、失うことは身体に傷を受けるような苦しみがある。僕の仕事は自営のソフト会社である。
お客様のご要望をお聞きして一緒に頑張って困難を乗り越えるのだ。
「家族」と言うのは、何よりも大事な仕事である。
「共に生きて人生の終りを迎える」というプロジェクトなのだ。
食べ物を買ってきて食べるだけの人の集まりではない。
僕は素材から毎日食事を作る。「コンビニ飯を食って元気な年寄は居ない」のである。医師に関わらないことが健康なのである。
嗜好品をできるだけ避けて「食材が生命を失った」ところから最短の時間と距離・伝統的なレシピで一皿を作る。30年以上前にはまだ生き残っていた「街のカウンターでオカズを作ってくれるキッチン」を思い出す。
今や、センターキッチンでつくられた冷凍食を「チン」して出すだけである。大量生産は低価格での満腹を売る。そんな物がピンコロの人生の終りを迎えさせてくれるわけがない。「薬」と「高度治療」とのセットで苦しい人生の終わりを迎えさせてくれる。
今日は妻のパートなので、丁寧に食事を作る。
マユのご飯の日である。
最近は、小鍋で揚げ物をする。一回に食べる分だけを揚げると美味しい。
2023/04/06
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