人生の一段落、焼き鳥、国体受注出来なかった夜
今年は、鹿児島県での国体開催であったが、昨年に続いて受注を逃したのである。大変楽しいのだけど、厳しい仕事なので、少しホッとすると同時に自営業のうちの会社としては大幅に事業計画を変更する必要が出てきた。
国体の仕事は、2009年から始まり長く続いた。そのうち総括したいと思うが楽しくもあり苦しくもあった。
記録集計というのは、何よりも責任が重い。この仕事はいい経験であった。
そうは言っても10年である。今後、経験を活かすだけの時間は残っているであろうか。
「平野屋コンピューティング」と言う社名は、父の実家から付けた。
2010年当時、大きな開発の契約の必要から株式会社にした。数社お客さんがいるので、突然すべての仕事を閉じることも出来ないしそれはお客さんへご迷惑である。
父も母も応援してくれた。人も雇ったし仕事も多く請け負った。仲間とも別れたし、失敗も多く得たものも多かった。そして国体の仕事の10年である。今年63歳になった。なんとも終活的である。
何よりも目が悪くなったのが辛い。
丁度いい潮時かもしれない。株式会社を維持するのは金がかかるのである。アドビのクリエイティブクラウドも止めた。
久しぶりに酒を飲んだ。娘がスイーツを買ってきてくれた。
定年退職の夜のようであった(笑)。
国体とも縁が切れたので、今度ゴルフを始めようかしら。
2023/04/05
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。