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カラスの死骸と病気の医者は見たことがない。自分なりの「正しさ」を探そう。

もう随分、病院に行っていない。毎年の健康診断も2013年位からしないことにした。

2017年にそれまで入っていた医療保険が期限切れで更新できなくなるので、別な保険会社で入ろうかと思い、健康診断をうけた。

まあ、しっかり糖尿病で、腎臓も悪いかもしれないから治療したほうがいいというお墨付きをもらった。

そのクリニックの院長は、小学校の時の同級生だったのだが、僕が自分の名前を言って、一緒に遊んだよねと話しかけてもクスリともしなかったのには驚いた。まあ、お医者様の息子で中学から新潟市内の高校目指して下宿してたからもう忘れたのだろうなあ。

僕の本を献本するつもりでわたしたのが、お金払う時に突き返されたのには悲しかった。

健康診断というのは人を病人にするためのマジック

この時に、健康診断というのは人を病人にするためのマジックだと思った。

お医者様は、「検査値が死ぬまで正常な人間」っていると思っているのかねえ。このときは、ハッキリとは認識していなかったが色々なことが繋がり始めていた。

少し血をとって検査して、検査値の数字を見て病気かどうか判断する。検査値の異常が病気なのだ。症状ではないと言うところが大事だ。

症状は治るということがアウトカム(効果)である。実に単純だ。その時点で治療は終わる。

では検査値はどうだろうか。今の薬(分子標的型)はあっという間に検査値を正常にする。しかし、薬をやめればまた異常になる(笑)。治療を止められないのだ。

I型糖尿病や甲状腺の病気、血友病、心臓のペースメーカー、透析のような状態に関してはは別だ。治療ではないのだ。車椅子のように生活を補助するものなのだ。

生活習慣病と言われる「高血糖、高血圧、高尿酸、高脂血」の4つの話だ。難病・膠原病と言われる身体の状態もこちらに入る。

医師の闘病録

糖尿病の勉強を始めたときにっ随分色々な闘病記を読んだ。I型糖尿病の人やガンの人の本をたくさん読んだ。色々なことを学べた。

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一番好きなのは藤本敏夫さんの本、南昌江 さんの「わたし糖尿病なの」には泣けた。I型の女の子が医師になって多くの人を助けるお話だ。僕は大好き。ガン関係では近藤誠さんを外せない。随分昔から読ませていただいているが素敵だ。糖尿病に関しての話は少し異論が有るが.....

ガン感け

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そして気がついたのだが、自分がどんな死に方をするかということを考えていないのだ。自分は病気にならないですくすくと生きると思いこんでいるのだ。

しかし、これは医者に限ったことではない。僕の身の回りの連中もほぼ一緒である。

だれもが、健康診断をうけて正常ならば、まるでこの世の春のように大喜びである。ある人と話をしていて、健康診断が全て異常なしだったと胸を張っているのを聞いて気がついたことだ。

一生、検査値が正常なままで永遠に生きれると思っているのだろうか?

僕も異常になるまでは正常だった(笑)。

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問題は食事!

体重痩せろ痩せろと医者はうるさい。体重は見た目で判断できる検査値なのだ。歩いている人見て尿酸値がどのくらいかなどわからない(笑)。

運動しろしろと言われ、ウオーキングやジム通いで忙しい。これだけ医師の言うとおりの生活をしながら、合併症で辛い10年の後にみな死んでいく。対策が間違えているのだとどうして医師は考えないのだ。

多くの災厄は65歳を過ぎて身体の中の臓器が不全になる頃に起こり始めっる。もう引退して社会から隠れる頃から起こり始めるのだ。

そして、施設や病院に隠されて治療される。食事を作るうなどと思ってももう新しく学ぶ気力などはない。スーパーに行っても売っているものは若者向けのガッツリした食事ばかりだ。


常に私たちの内部は組み替えられて、衰えた臓器で生きていける等に「取引」をする。そのたびに適切な食事は変わる。それを見つけねばならない。

僕は父と5年一緒に食事をしながら何がいいのかということを考えながら作った。一緒に食べていると何から食べるをで何を食べたいのかが分かる。色々と教えられた。

そんな食事をできなければ、何種類もの薬を処方され(一つの薬は一つの数字を変えるから沢山のつまみを調整するようなものだ)、やがて管で繋がれながら、同じような手術を繰り返して死ぬのだ。

どんな食事が良いのだろうか

まず、医師が推奨する食事はある程度の人にしか当てはまらない。たしかにいい人もいるだろうがそれは統計の数字にしか過ぎない。

僕は自分で食べながら判断しないと駄目だと思っている。そして、自分にピッタリの食事は自分で作る(見つける)ほかないと思っている。

問題は年取っていくと臓器は壊れていく。つまり、食事も変わらなければならないということだ。「家族で食事を作っていた時代」は、その家ごとに沢山おノウハウがあったのだ。皆失われた。

コアラはユーカリを食べ、パンダは笹を食べる。食物連鎖の中で選んだ食事は何らかの意味がある。同じ定食屋さんで食べるのではなく、色々なものを試すといい。自分で作れるなら作るといい。

意外と自分で作るのは時間がかからない。お店で注文して、出てきた食事を食べて家に帰る時間で作れるようになる(笑)。後片付けが辛いけどね。よkァったら僕の悪戦苦闘を見て頂戴。2017年からyoutubeにアップしてもう2300本を超えた。とにかく毎食素材から作っている。動画、編集してアップしているから寝る暇もない。

嘆いても仕方がない。お互いに食事を伝えあって見つけていこうではないか。

闘病録はとても大事な物だ

noteで知り合った方の記事や、僕の本を読んでくれて相談してくれている人の話を聞くのが大好き。

医者が偉そうに、「外国の論文に載っているが、これが病気にはいいのだ」などというのは聞きたくもない。大体サプリメントや特定の商品を売ろうとしている。自分がそうなったときにそんな言葉が心に響くか?無論サプリマントも良いのかもしれない。否定はしないが、大事なのは自分の身体に効果があるかどうかである。

僕は苦しんでいる人の言葉が心に響く、そして共感する。何とか何かの役に立ってもらいたいと思い色々と調べる。

そして、効果が感じられると言う言葉がとても嬉しい。僕はずーっと苦しんできた糖尿病と嘲られ、馬鹿にされて生きてきた。

けどね、ほとんどの人はもっと苦しんで死ぬ。分かるだろうか?

いま病で苦しんでいる人は幸いだ

「逆流性食道炎」と言う病気がある。何かを食べると胃液が逆流してきて嘔吐してまうのだ。

僕に相談してくれた人はもう医者で手術する他ないのかという。胃袋をホチキスどめして横隔膜を縫い付ける手術だそうだ。本当にびっくりした。

「症状」が身体にとって自然の反応だと考えると対応が見えてくる。例えば小麦のアレルギーでは小麦を食べない以外の方法はない。なにかの食べ物に対しての反応ではないかと考えた。

聞いてっみるとやはり起こりやすい食べ物があるという。手探りで探していこうと話した。今日もメールが来てどんな食事がどう自分を反応させるかを詳細に記録している。新しい食べ物にもチャレンジするという。

涙が出そうになった。自分自身で世界に向き合うことを選んだのだ。医師の言うとおりに手術などしないで道を探しはじめたのだ。

僕はとても感謝している。

何で続けられたのだろうか

僕は2015年に血糖値が上がる食べ物を探した。一日10回以上血糖値を図った。食事の前食事後、夜中や明け方に目が覚めるたび。そして自分が何を食べると血糖値が上がるか分かってきた。やがて食べなくなるにしたがってA1cは下がり出した。


その体験は、何十年も検査を続け薬を飲んで医師に褒められていた自分とは違う人生である。

果たして様々な災厄に出会うことなく人生を終えることが出来るかどうかはわならない。けどね、自分らしい人生だと思っている。

食事作りはくたびれる。クタクタだ。

しかし、食事というのは自分の生活に組み込まれている。いくら自分でつくろうとしても難しい。

多くのノウハウや感じることが多い。何とか言葉にしていきたい。

自分で作ったおいしい食事と健康な人生は、海外旅行やデズニーランドより楽しいです(多分)。だから僕は人生の大半を食事作りで過ごす。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。