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北海鍋リベンジ、ハンバーグ、鶏もものデロンギ、コンクリ仕事、看板修理、すこしいい天気

朝の体重は84.5kgである。昨日はご飯食ったしパンも食った。年内に80kgを切るのは無理そうである。まあ、携帯変えたから革ジャンは諦めるのだが、今度は財布がほしい。人生欲しいものだらけである。

石狩鍋は少し前に作ったが生臭いと不評であった。その後、鮭は下茹でしなければならないと知った。今日はリベンジである。


毎日汁を作る。具も大事だが、いちばん大事なものは『生命:立体楮を維持したタンパク・脂質、その内側に組み込まれた微小ミネラル』が溶け込んでいる「汁」こそが大事である。高温の加熱はすべてをバラバラにして「バイキン」さえも寄ってこない。賞味期限は生命が失われている証拠だ。お店で出される丁寧に作られた食事が美味しいのは理由がある。
しかし、商品である以上「利」を求めざるをえない。僕が素材から料理を作ることを大事にしているのは、人生の最後の10年をピンコロで生きたいからである。それこそが食事の価値である。随分レンジの長いアウトカムだ。

「政治的に正しい医療や栄養学」は100歳まで生きるという。確かにそうであろう。病院や施設の箱の中で意識もなくミイラのようになりながら「経管栄養・輸液・胃瘻」なままに生きるならばである。僕はマッピラである。


鮭カマは値段も安く最高である。相当美味しかった。
根菜・キノコは先に茹で始める。最後に牛乳が入るので少なめの汁である。鮭は根菜が煮えたら豆乳である。沸騰した湯に入れて再沸騰後すこしおいてから上げておく。下茹では加熱を適切にしないと美味しさが逃げる。
ハンバーグは安定してきている。ケチャップ味である。食事の安全装置である。ガッツリしたものを食べたい時はいつでも献立に入れることが出来る。最近ようやく不満を効かなくなった。精進しなければならない。
鳥モモが残っていたのでデロンギることにした。塩だけでローストするといい。
関節に包丁を入れて温度は最低温度(100度)で45分である。
手がかからない上に美味しい。娘にはこの料理が一番美味しいと言われた。香辛料がないほうが口にあうのだろうや。

鳥を焼きながらすこし片付ける。

ハンバーグと石狩鍋が出来上がっている。
食洗機には一回洗って(脂を拭って)から入れる。
昨日の豚足、石狩鍋、ハンバーグ、エノキの瓶詰め(僕の大好物)。
濁り酒はこの季節に美味しい。遠くに職の決まった息子も買ったと妻が話していた。
大根もおろした、納豆も食った。ご飯は食べていない。
石狩鍋は3回お代りをした。嬉しいものである。
汁がすこし残っているので、豆腐を足した。絹ごしが会う。
明日からは娘も休みである。アトカタはもう少し後にしようと思う。
汁を作る時に片付けたので軽量級である。15分仕事であろうや。

年末である。


消雪パイプの水が流れてしまうので排水路にセメントを詰めることにした。
バラのアーチを作る時に買ったセメント。
砂利をしいてセメントを節約する。
中々の出来である。

看板の足の長さがあっていないので切り直した。
やはり微妙に違う。構造的に1っポン足でも良かったことに気がついた。次のバージョンではそうすることにしよう(笑)。作ってみてから気がつくことばかりである。



厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。