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デロンギで豚足の炙りを作って、半折のスパニッシュオムレツ、夜は鳥の地獄焼き

豚足のその3である。5本買ったのだが、後一本になった。古い友人のお歳暮に差し上げようと思い作った。ル・クルーゼとのあわせ技である。

ル・クルーゼは結婚を決めた頃買った。デロンギにちょうど入るところが素敵である。
豚足は2本

昔、台湾屋台料理のお店で食べたことがある。それを思い出しながらの厨房仕事である。午前から下ごしらえをして2時間「デロンギッ」た。
美味しいものは時間がかかるのである。時間こそが食事の価値なのだ。

鯵切りの小出刃で切れ目を入れる。松山で習った豚足の解剖学が役に立つ。


味が入るように来切れ目を入れて砂糖と塩にニンニク、唐辛子を漬け込んだ。

形が残っていたほうが面白みがあるので全部はバラさないで足の風味を出した。生姜も入っていいだろうが忘れた。人生に忘れ物はつきものである。

リンゴも入れても良かったかしら。1時間位漬け込んでからデロンギることにした。ワインと醤油である。最強だ。あちらの酒もいいかとは思うが今日は赤ワインを使った。


野菜は大事。タマネギは半分を薄目に切って敷く。ソースになる。残りは、大きめに切って合わせる。少し形は残るがソースに消えてしまう。
ジャガイモと人参にピーマンを入れた。蓮根も入れればよかった。

作っている間に妻が腹減ったという。手軽に直ぐにできるものがいい。

オムレツは随分練習した。
昨日の余りの鴨肉を使ってスパニッシュオムレツを作った。卵は4個でタマネギとピーマン、昨日の余っていた鴨肉のローストを細かく切って一緒に焼く。
卵料理は好きだ。ジックリと加熱すると野菜が溶け込んでいく。思ってもいない味になる。
パリパリになったところで半分に折る。卵8個の時は折らないで返す。蒸し上げて出来上がりである。卵料理は手わざである。上手く行かないと悲しいがスクランブルエッグでもそれはそれで美味しい。
半分に折って数分むす。
ケチャップでハートを書けばなおよろし。

妻の分と2人前である。


食べている間に豚足に熱が入り始める。

15分おきに様子をうかがう。あまり加熱が過ぎてもよろしくはない。
せっかくのソースが飛んでしまう。
タマネギと豚足の旨味が底に溜まっていく。時折(15分おきくらい)、上下を返してあげる。
一緒に入れた根菜も小さくなっていく。1時間位でジャガイモはホウホグになるので一回上げておいたほうがいい。溶けてはあまり嬉しくない。最後に戻す。

「One for all,all for one」である。どうせ、家族のお腹の中に行く。
ソースが具材に絡まって、味がしみていくのだ。

ジクジク言っている。美味そうである。おおよそ2時間加熱した。
大皿に移す。もう一杯始めたい。
ご苦労、味見しようかとマユが出てくる。

マユが欲しがり、吠えて大変だった。
昨日、僕が落とした骨を食べたが、白いコロリウンコになって出てきた。
身体というのは不思議なものである。


半日かったが、つまみ程度のものである。夕飯のおかずがいる(笑)。
「鳥の地獄焼き」を作ることにした。

クリスマスの売れ残りである。これだから嬉しい。ローズマリーは庭のもの。
でかいフライパンで焼く。というか揚げる感じになる。
左が「岩田巌くん」右が「岩本マルコちゃん」川から家に招いた自然石。重しに丁度いい。

確かレシピの本には『悪魔風』と書かれていたのだが、我が家では「地獄」と呼ぶ。悪魔と地獄ってチョッと関係が違うと思うのだけど、妻の頭の中では一緒なのであろう。

15分くらい。パイ皿は厚いのでレンチではぐってみる。上の方が生なのがまだまだ修行不足である。
ローズマリーとニンニクは上げて置く。香りが移って嬉しい。
裏返してあげる。皮の側はパリパリである。レシピ本では返さないで蒸し鶏の味わいをだすというが、僕にはまだ難しい。頑張ろー。
鳥の足を皮目を下にして、重しをあげて弱火である。鳥自身の油で皮は揚がっていく。「骨ごと」というところが嬉しい。関節に血合いが残るので難しい。ローズマリーとニンニクを乗せて塩で焼く。
白ワインとレモン、タマネギと人参に付属のソース、でソースを作る。付けるも付けないも自由に出来る様に別にしておいたほうがよろしい。

焼き上がったら、フライパンの脂を使ってソースを作る。塩コショウしてあるのでそのままでもいい。

出来上がった頃娘が帰ってきた。塩辛も美味い。菜葉の煮付けも食べる。
味噌汁も作った。慎ましい夕食である。

「ヒトの口」は様々である。一日のうちでも一回の食事のうちでも変化を好む。面白いものである。


夜中のアトカタ、毎日の食事は家族を守る。

今日は油ものが多く大変である(笑)。
僕は百戦錬磨の住み込みの下男である。キレイにすることとt美味しいものを作ることが無上の喜びなのだ。

毎日のルーチンである。
朝、娘が出かける時、夜遅く妻がパートから帰った時厨房が綺麗だときっと笑顔になる。
それこそが、食事の価値なのだ。

食器洗い機に計画を立てて詰めていく。一回油をとって入れていくのだ。食器すすぎ乾燥機である。優秀な秘書であり相棒だ。
片付いた後の静寂が好きだ。明日は妻のパートの日である。何を作ろうかねえ。
今日の息災を喜び、明日の健康を祈る。

パンチェッタが美味しくなりつつある。

お日様と冬の冷気が仕上げてくれる。正月はこれでパスタを作ろう。

木瓜酒がいい香りになってきた。正月はこれで一杯やろう。

父母がなくなった後でついた木瓜のみである。大きくならない木瓜の木を母はいつも嘆いていた。

年末である。

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。