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「ソイレント・グリーン」な老後

ふと気になって、ソイレントグリーンという映画がいつ頃の未来を描いたのかと思ったら、2022年ではないか。おや、今年である。

確か高校くらいの時に雑誌で読んで、後に深夜映画で見たような気がする。1973年の製作だから僕は中学生であった。

格差が激しく社会を分断した時代に、老人の死体から食べ物を作り貧民に食べさせて、金持ちが富を築いているという映画である。

その食べ物は、ソイレント(大豆肉)グリーンと言う健康に良さそうなビスケットだ(笑)。

そこかしこでこういう風景は見るねえ。

大金持ちは、ヒトを家具のように扱い、使い道が無くなると工場に送り食べ物にして、貧民に与えるのである。
このディストピア映画の素晴らしいところは、社会が分断されることで富が吸い上げられるという構造を洞察している所である。

ファーストフードを作る工場で働く方々は、ファーストフードしか食えない。キャピタリストはその工場の利益で富を築き、高級レストランに家には料理人がいる。


もう一つの鋭いとことは、老人の扱いである。
年金が完備した今の社会は恐ろしい。
本人の意志ではなく、「介護方針・治療方針」と言う「政治的に正しい侵襲行為」が行われる。

本人は、昔に戻ることを望んでいるのだ。治療は手段に過ぎない。
治療に戻る可能性がない場合は「侵襲」という残虐な行為である。「胃ろう」の議論でよく言われるのは、「やめることが出来るか、あんたは、「胃ろう」がしたいか?」というものだ。僕の友人はマニュアル通りに勧める医者にそう聞いて、医者は「自分ならやらない」と答えたという。正直な医師である。
認知症と言うレッテルを貼ったら、病気なのだから治療しなければならないのだ。だから施設に入れるし投薬を始めるのだ。

施設の家賃・経費を年金額から引いた残りは介護する家族の手取りである。自分一人で暮らせなくなったら最低限の訪問介護を僕は望む。
しかし、行政はダムの代わりに介護施設作る。そして、働くヒトの時給は最低である。
施設での食べ物は健康に良いソイレント・グリーンになるのだ。社会の格差は、まさに今を予言している。60年代のSFは大好物である。


チャールトン・ヘストンさん、エドワード・G・ロビンソンさん、いい映画である。

今の時代は、介護すると言って、老人を施設に入れて、長く生かす。
先端医学は、管をつないで「経管栄養、胃ろう、輸液」でヒトをミイラにして長く生かす。
家に帰りたいといえば、それは認知症の印。よく効く薬を食べ物に混ぜて治療しなければならない。

何人も老人を見てきた。父と母を看取った。父と母は運良く僕の商売が家でプログラム作ることだったので、毎日食事を作ってトイレの掃除して、一緒に暮らしていろいろなことを学んだ。


介護施設に入って、元気だった方が、口をパクパクさせる木偶の坊になるのを知っている。
介護の邪魔になるなら薬飲ませるのが今や「政治的に正しい」ことなのだ。老人は、何を言っているのかわからない。理解できない行動を取る。
しかし、彼の中では大事な人生の一部なのだ。

僕は80歳の自分のために何が出来るを考えている。

しかし、どんなにあがいても、いつかは追いつかれるのだ。
市役所の役人が来て、テストされて、認知症と診断されたら、施設に入れられるのだ。

下の始末は自分でできて、自分を見失わず、食事を自分口で美味しいと食べられるうちは施設に入らないでで生きていきたい。


こちらの方のページから写真いただきました。

#ソイレント・グリーン

#介護

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。