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患者は病気の入れ物ではない

僕が病気に向き合えるようにあったわけ。僕はII型糖尿病というあまり名誉ではない病気だ。治療を本格的にやめたのは2012年位の頃だろうか。主治医に治療はいつ終わるのか(治るのか)と聞いたら、「治りませんよ」と簡単に言われたのだ。治療を止める人はいないかと聞いたら、居るという。その人はどうなるのですかと聞いたら「知らない」という(笑)。

糖尿病の治療薬は糖尿病を直しはしない。食事を変えなければ病気は進む。やがて、薬で血糖値が下がらなくなるとインスリンに進む。それでも駄目だとなると、「自己責任です」と自分で諦めることを納得する。


バーンスタイン博士との出会い

そして、紆余曲折の後にバースタイン博士の著作に出会う。このことは僕の本にも詳しい。この出会いがなかったらどうなっていたか想像もできない。

バーンスタイン博士は、I型の患者である。当時の医師の言われるままに治療を続け、苦しんでいた。そしてエンジニアであった彼は1960年代に出始めた血糖測定器を使い、自分の身体を実験台に「仮説」を組み立てる。

何度彼の著作を読んで涙しただろうか?そして病気を自分自身の問題と考えて向き合うことが出来たのだ。自己血糖測定で自分の血糖値プロファイリングを始めた。血糖値が食事や運動でどういうふうに変わっていくかを調べ始めたのだ。そして、検査値は生活を写している鏡だということを知る。

こちらにサンプルあります。

今では、検査値と病気(症状)の間には相関関係は有るが因果関係はないと信じている。両者の原因は「食事」がもっとも大きな要素だと考えるようになった。

商品化された食事は「乾燥・濃縮・抽出工程」を通る。一回の食事で満腹を売らなければならない。仕入れは40%として、1000円弁当は400円で製造コストを賄わなければならない。「人件費、材料費、容器代、運賃+利益」が入る。当然満腹をコスト安く提供できる「炭水化物」がメインとなる。

しかし、炭水化物は毒ではない。あまりに魅力的なので食卓から食材の持っている「生命」を追い出してしまうのだ。

生命とは抽象的な言葉ではない。「食材=肉、野菜、魚」は「細胞」からできている。その細胞は「脂質の膜」の風船に「水=タンパク質が溶け込んでいる」を持っている。数千万から数億のタンパク質がそこには溶け込んでいる。

医学は「欠乏症」を生む必須栄養素取ればいいという。

確かにそのとおりだ、鳥目や壊血病、くる病や脚気、僕らは1960年の栄養学のおかげでいろいろな病気から自由になった。

しかし、「幾種類もの(直さない)薬を処方され、同じような手術を繰り返し、輸液(=点滴)、経管・胃瘻(流動食を胃に送る)の人生の終わり」を施設や病院、ICUで迎えることになった(統計的に言えば)。

僕はそんな人生の終わりはまっぴらだ。

「幸運な病のレシピ」と言う仮説

2017年以降、食事を自分で作ることにした。厨房仕事は家庭のパワーバランスを象徴する。家族とは何度も衝突を繰り替えして諦めようかとも思った。こんな大変だったら、スーパーで弁当買ってきて食っていればいい。ファイレスに行ったり、小粋なテイクアウトを食べたほうがよっぽど楽だ。

それに気がついた時に、食事つくらなくなった社会の変化に気がついた。1980年代を境に大きな変化があったのだ。


そして僕は今日も食事を素材から作っている。

今日の朝食はここ数日の魚、蕗の炒めもの、今朝焼いた鯛、ご飯少々(80g)に自家製の梅干し、味噌汁は具がたくさん入っている。満腹だ。

作るプロセスは#2130の動画(上掲)を見てね。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。