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幸運な病のレシピ(3) どんな風に料理を作るか

毎日続けなければ意味がない。もう家族というシェルターは望むべくもない。一人になっても作れなければ老後が辛い。老人は社会の片隅に追いやられ、見えないように施設や病院に隠される。あたかも医学が不老不死を実現しているように見える。嘆いても仕方がない。
毎日素材から料理を作るのは、おにぎりと缶チューハイの老人になって辛い死に方をしない準備である。やがて料理が作れなくなって、その時はポコンと死にたい。

食材の持っている「水=生命」を大事にする。できるだけ炭水化物(毒ではない魅力がありすぎる)は避ける。皿の上の食材の比率ではなく、作るプロセスを大事にする。自分が美味しいと思えるものを作る。

誰に言ってもそんな事実際に出来るはずがないと言われる。僕はII型糖尿病だから、自分の命のために食事を作る。そして本当に作っていることを証明するためにyouytubeにアップしている。

知識をレシピに書き綴っているのではない。知識を得るために食事を作り、何かを見つけようとしている。

僕の「食事CODE」は僕にしか正しくない。けど、自分らしさを見つけようとするのは誰にとっても価値の有ることだ。「よく生き、よく死にたい」。食事は明日の自分を作る。自分らしさを見つけるための「創作」なのだ。

カップにお湯入れる食事もいいだろ。美味しいし僕も大好き。医師や栄養士の太鼓判押す食事を買ってくるのもいいだろう。安心が買える。けど違う道を僕は探す。30年医師(商売人)の言うことを聞いて来て、結局は失明の宣言である。娑婆のものは青信号でも信じてはいけない。

嗜好品は程々に(僕の場合は酒)。人生は我慢大会ではないが耐久試験でもない。厨房が僕のアトリエ、食材が画材、そして家族(マユも家族)の健康が作品。父母と同じようにピンピンコロリと逝きたい。

やがて、僕が母の後ろ姿を見て「食事の価値」を学んだように、この動画を見つけてくれる人を夢見ながら毎日生きる。



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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。