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幸運な病のスタディ:医者と患者の間

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人の身体は余りに違いすぎる。誰にでも効く薬など無い。医師は薬の処方や手術の専門家でしか無い。自分の身体は自分で見つめなければならない。医師は専門家であるが、意外なほど知っているこ…
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2020年6月の記事一覧

「寛解」:ダン中隊長の場合、父母の場合、僕の場合

フォレスト・ガンプと言う映画を僕は好きだ。その中でベトナム戦争で両脚を失う隊長のシークエ…

闘病の方々「敵の見つからない病」と向き合うために(もちろん僕も)のnote

かつて「病が認められない時代」があった。何らかの欠乏症、感染症でなければ「怠け病」と思わ…

「バーンアウト、エンパワーメント」、自分で病気に向き合うこと、フロイト的である医…

2015年5月眼底網膜症の診断を受け失明を宣告された。食事を変えることで11月には(別な医者で…

医者には「デブ(BMIの異常)」がいない。学校の先生や政治家にもいない。営業、SE、…

デブというのは、18〜35歳くらいの頃の食事生活によって決まるのではないかと仮説している。地…

インスリン、糖尿病、生活習慣病(6)眼底網膜症:とにかく失明は怖い、学ぶことで「…

眼底網膜症での失明は、もともとの毛細血管が出血して起こる問題ではない。眼底の細胞が苦しん…

食事に埋め込まれた「コード」(3)「糖質制限」のお話。僕は昔、「江部教」の信者で…

2010年前後から『糖質制限』と言う考え方がメディアで広く言われるようになる。当初は「糖尿病…

検査値正常の不健康、病気自慢の医者自慢、よく効く薬が「原因を直さない=終わりのない治療」を生んだ。

高いビルから落ちても、地上にぶつかるまでは傷一つ無い。検査値も同じだ。検査値の異常が見つかり、薬で修正しても、最後には致命的な疾患に追いつかれる。それが早いか遅いかの違いである。 検査値は身体の異常を表すと考えられている。だから検査値を下げれば身体は正常になると言う結論が導かれる。「頭が痛い」「熱がある」というのも検査値と言える。そして、薬で収まれば回復である。薬もいらなくなる。 これは至って正常な「治療」の姿だ。病状とその原因があり、治療は始まりと終りがあり、治療が終わ

家族は医師の下請けではない:「糖尿病警察」というおちゃらけに噴飯!医師により家族…

「糖尿病警察」と言う言葉があることを知ったのは少し前のことです。患者が「医師の言う食事の…