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「寛解」:ダン中隊長の場合、父母の場合、僕の場合

フォレスト・ガンプと言う映画を僕は好きだ。その中でベトナム戦争で両脚を失う隊長のシークエンスがある。優秀な兵士であった彼はガンプに助けられるが除隊後の人生は苦痛に満ちたものであった。そして、ガンプは隊長とともに生きるのである。そして、隊長はガンプ、そして神と和解する。敬虔な映画だと思う。僕は大好き。

だ中隊長

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父と毎日一緒に食事をしていた。僕が作りいろいろな話をする。少しだけ酒を飲む。父は散歩が好きだった。結構遠くまで歩いていたのだが、だんだん行けなくなってきた。食事のときにいつも歩くのが辛くて行けなくなってきたと嘆いていた。ところがある日を境に一切散歩の事を話さなくなったのだ。

母の一周忌が過ぎて実家に挨拶に行ったあとだったと思うから2017年くらいだろうか。そして、母の思い出をも一切話さなくなったのだ。僕が話を向けても、「そうだったっけ」といって、本当に覚えていないようだった。

認知症と医師は診断するだろうが、覚えていて辛いことを忘れるのは病気ではない。心の当たり前の反応だ。違うだろうか?

医者はフレイレになるからとにかく歩かせろとしつこく言う。テレビなどでも、歩いている年寄はこんなに元気だと実例まで上げる。歩けなくなったら病院で人工関節入れてでも毎日歩けと言う。そして、年寄は「もう歩けない」もうだめだと絶望する。苦しんでいる老人を絶望させて何が楽しい。

もう戻れないのだ。わからないのだろうか?人工関節入れれば又ピンピン歩けるようになると本気で思っているのだろうか?自分にもやがて来る運命とは思えないのだろうか?(注)

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僕の母は、視力が戻るとそそのかされ、白内障の手術をした。その後、大変苦しんだ。となりで住んでいたから毎日母に呼ばれ、この目薬を指したか聞かれ、最後には手術を受けたことさえも忘れた。起きたとき目が見えないと何度も僕に嘆いた。

やがて、全て忘れ童女の様にケラケラ笑う小さなおばあちゃんになった。今も母はここで笑っている。

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人は一人ではない。多くの人と繋がりながら自分となっている。

ときには自分を思う通りに動かそうとする者もいるだろう。僕は子供に嫌われ関係の修復はもう無理かもしれない。金も財産も遺産もない親はただの老人である。自分とともに生きようとする家族もいるだろう。

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しかし、いずれ失う日が来る。まるで自分の身体を失うように辛いこともあるだろうし、重荷を外され自由になったようなこともあるだろう。

いずれにしても、喪失した自分の一部を見つめ直さなければならない。そして新しい人生の海図とコンパスが必要になる。それが見つかった平穏こそが寛解なのだ。


医師は自分を恥じることはない、いずれアンタもそうなるのだ。

気がつけるといいね。

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寛解とは医療の用語である。

『全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること。』と定義されているようである。もう諦めなさいということである。
諦観とか言う言葉もある。自分の支配力がなくなった時に、訪れる諦めとも考えることが出来る。
僕は炭水化物を食べると血糖値が高くなる糖尿病という病気である。炭水化物は美味しいし、諦めきれない。これは僕の身体を形つくる細胞達の望みである。なので、抗うことはできない。しかし、インスリンや薬では多くのトラブルが起こることを知っている。無論、反対する医師もいる。僕は選択したのだ。今まずまずの所で炭水化物を食べない生活ができている。欲望(永遠の命)と、生活(年老いていくという現実)の均衡点である。父が母の死からの生活の変化に向き合っていることを見ているとそう思う。

人工関節入れれば又ピンピン歩けるようになると本気で思っているのだろうか?

妻が病院の看護補助の仕事をしていたときに、『随分お年のおばあさんが人工関節の手術をしたくないと医師に懇願していた』ところを見たことがあるそうだ。その医師は『治る可能性があるのだからするべきだ』と説得していたという。このへんの田舎では、年寄は一人施設で暮らす。遠くにいる子供は電話一本で医師に許可するだろう。けどね、生きているのはそのおばあちゃんなのだ。

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介護する人の都合で医者から体いじられるなら、孤独死で結構だ。

できるだけ人様の世話にならずに、自分を失わないでピンピンコロリと生きていきたい。

そのために毎日僕は食事を作る、やがて一人になって、すべてを忘れても、素材から料理を作っていれることを思っている。僕は食事には価値があると信じている。

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#フォレスト・ガンプ



厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。