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「ポストコロナ」の高等教育論

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「これからの高等教育機関」の在り方を,皆さんと一緒に考えたいという思いで開設するマガジンです. 大学職員として働いてきた経験を踏まえ,感じたこと・考えたことを随時更新していきたい…
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#講義

懐かしの講義

先日,職場の同僚(兼中学高校の同窓生)と会食しました。 よもやま話をする中で,話題は自分たちが大学生だったころの印象的な講義の話になりました。 指導教員となるゼミの先生との思い出が一番なのはもちろんなのですが,(そういえば大学1年生のときの基礎演習の先生は誰だったか…???) 「講義」となると,特に印象に残るのはK先生「政治学入門」の講義と,お名前は忘れてしまったが一般教育科目「人類の歴史」の講義。 どんな講義だったかというと……。 1.「政治学入門」 K先生は国際

結局「講義」とは何ぞや?

SNSでは,時々「大学の『授業』というのは誤りで『講義』なのだ」という言説が見られます。 例えばこちら。 今はなくなってしまったのですが,「大学では、中学高校と違い、授業とは言いません。あくまで講義と言います。」とし,次のように述べている古いブログもありました。 この二人の先生方の「講義」観は,それぞれの先生方の大学観,すなわち大学というものをどうとらえているかを反映しています。この二つの「講義」観から垣間見える大学観はShizuka Uchida氏が書いている通りです

芦田宏直氏の『シラバス論』(晶文社)を読んでみた.

以前芦田宏直氏が,「コマ数=科目数(多科目主義)では教員が授業準備をまともにすることなどありえない。六コマ=六科目をまともに授業なんてやれないから,その内の(少なくとも)二コマくらいは、『ゼミ』とか『発表型』『調査型』授業とか『ワークショップスタイル』などの手抜き授業になってしまう…。」とSNSで述べていたことを取り上げて,「ゼミやワークショップ」が「手抜き授業」とはどういうことだろう,という記事を書いたことがありました. この投稿の出典であるらしい『努力する人間になっては

「ゼミ」が「手抜き授業」とは.

2013年の11月ごろのことです. 芦田宏直氏が,「コマ数=科目数(多科目主義)では教員が授業準備をまともにすることなどありえない。六コマ=六科目をまともに授業なんてやれないから,その内の(少なくとも)二コマくらいは、『ゼミ』とか『発表型』『調査型』授業とか『ワークショップスタイル』などの手抜き授業になってしまう…。」とSNSで述べておられました. 氏の著書『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』の一節のようです. 前後の文脈がよくわからない(こ

大学の「授業」.

「大学の授業」といういい方をすると,「大学では『授業』といういい方はしない.『講義』というのである」というニュアンスの言説をする方がいます.例えば,(少し古いブログですが)大学教員でも次のようなことを書いている方がおられます). ここでは,「大学では、中学高校と違い、授業とは言いません。あくまで講義と言います。」とし,次のように述べています. 何故に授業という言葉を使わないか? 授業は、字の意味でいくと業(ワザ)を授けることです。 つまり、授業をするということは、相手に知