モノと出会い、変わる思考

唐突に高校時代に1年間やっていた研究のことを思い出した。初めは何となくで適当にやってたんだけど、怪我をしてトリッキングの練習が出来なって、今の自分でもトリッキングについて考えることはできないだろうかと思った時に「あ、この機会を活かせばいいんだ」と思って途中から真面目に(?)やり始めたんだったな。データは出せたけど、大々的に自慢できるような凄い話でもない。でも、その中に自分の中で自分の考えに変化が生じ始めたのは間違いない。この研究をやっている時、やっと学校でやるような勉強と実生活のリンクが自分の中で明確になり始めて、「何故学ぶのか」という疑問に対して徐々に自分なりの答えを見つけ始めることができた。

トリッキングとはなんなのかという記事はここに書いてある。とても魅力的なものなので、是非とも一読していたければ幸いです。


「勉強する」という事に対してずっと疑問を抱いていた。だってそれをやらなくなって最低限の暮らしはできる。何を持ってして「最低限」とするかは分からないけど、死なない程度に生きることはできる。でも「勉強する」ということを学校での学習というものから一旦切り離して「学ぶ」という言葉に置き換えてみると、自然と嫌な感じはしなくなった。我々は普段から学んでいる。
「学ぶ」ということに関して、完全に拒絶する人は実は少ないのでは無いかというのが私見だ。携帯の操作方法を調べるのも、ゲームのコマンドを調べるのも、絵の書き方を調べるのも、結局のところ全て「学び」に通ずる。

ありふれた表現だが、「学びとは本来楽しいものだ」の言うのがある。正しくそれが本来あるべき姿だ。他者から許容されたり、嫌々やるものは「学び」ではない。
「学ぶ」というのは自分の知的欲求を満たすものであり、それ以外の何ものでもないからだ。トリッキングで怪我をして、トリッキングの研究を高校生なりにやっていた時にふとそんなことを思うようになった。トリッキングにとことんのめり込んで優勝して「このスポーツで自分の人生変わった」なんてかっこいいこと言いたいが、上達する前に怪我してしまったし、そもそも怪我する前はトリッキングに本気で向き合えていなかったように思う。

そんな自分だが、「トリッキングは自分の人生の転換点になった」ということだけはハッキリと言える。トリッキングを介して出会った人はお世辞にも多いとは言えないが、逆に多くも関わらずその方々から多くの刺激を頂いた。それはトリッキングのことだけに限らない、もっと大きくて共通する概念のようなもの。その方達は私にそんなことを伝えようと思ったわけではもちろんないと思う。でもその方達が「自分の意思」でトリッキングをやっているからこそ、私はそこから沢山の気づきを得ることが出来た。

学校が悪いとは決して言わない、というよりそんなことを言える資格は決してない。でも学校だけで得られなかった多くのことをトリッキングというものに出会って学び実感した。この世の事柄のほとんどが繋がっている。
一見切り離されて見えるものでも、根底ではどこからしら繋がっていることがほとんどだ。我々がいつも目にしているスマホ、パソコン、テレビ、電車etc…これらはいったい何によって作られているのか。そんな誰でもわかりそうなものに対してで無くとも良い。本棚にある本、背負っているバッグ、着ている服。1つの知識だけで作られているのものを見つける方が難しい。

「勉強がやりたくない」と言う人に対して、「将来的に必要になるからやりなさい」というのは正論なのだけれど、それは同時に「将来的な必要性」の説明を放棄しているに過ぎない。それが分からないから、実感できないから「必要性」を感じないのであって、それを実感していない人にこれを言うのは暴論のようなものだ。じゃあなんでやりたくないのかというのは基本的に「やらなくても生きていけると思うから」なのではないか。だったら「本当にそうなのか」というところから問い直さなくてはいけない。そこで有効なのが「自分なりに興味があること」に対してとことん突き詰めて考えさせてみることではないだろうか。トリッキングというスポーツを科学的に捉えるなら、バイオメカニクスの観点を必要とする。すなわち、物理学や数学がいる。普及してきた歴史や普及方法を考えるなら、発展している国の歴史や文化を元に考える必要がある。

芸術もそう、ゲームだってそう、漫画だってアニメだってそう。それは「趣味」「遊び」から始まる。そしてその領域を出る時、それは「学び」になる。別に「趣味」に対して真面目に考えて、自分を売り出してビジネスに繋げるなんて言う堅苦しいことを皆が考える必要がある訳では無い。でも「なんで学ぶのか」と疑問に思った時、その立ち返る場所は「自分の興味」なのではないかと思う。だからこそ「何がやりたいか分からない」「なんで勉強するのか分からない」なんて悩むことがあったなら、「そもそも何に興味があるのか」を考えて見るのが有効だと思っている。

散らかった文章になってしまったが、結論何を言いたいかと言うと、「トリッキングに出会って、色々と考え方を変えることが出来た」ということだ。今の自分の環境に疑問なり、悩みなりを抱えている時もしかしたら違う場所に飛び込めばそこに答えはあるかもしれない。そしてその答えを見つけるために、最終的には意識を内側に向けることで「何をしたいのか」を日々考えていく必要があるんじゃないかな。

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